■■ 1月9日(土) ■■

 
■新春メガネ大感謝祭・メガネセンターフジモリ
2021年1月31日まで
名張市内と榛原に3店舗を展開する「メガネセンターフジモリ」では現在、「新春メガネ大感謝祭」を開催している。昨年までの「年賀ハガキセール」に変わり、良く見えるメガネで楽しく、お得に新年をスタートしてほしいという思いを込めてのセール企画だ。期間は1月31日まで。
大幅な割引も魅力だが、更に今年はお買い上げ1万円ごとに1回、現金などがハズレなしで当たる「お年玉抽選会」がある。
また全てのメガネがお買得になっており、通常価格より更に最大20%割引になっているものもある。「フレームだけ、レンズだけの交換も大歓迎」。また「フジモリならではの度数安心保証がついてます。他店でお求めになったメガネでも喜んで修理、洗浄、無料調整致します。お気軽にお申し付け下さい。店は小さいですが、これからも地域一番の技術と安さ、サービスに挑戦して行きます」との事だ。 店舗は、名張駅前店(電話0595・64・1970)、桔梗が丘店(0595・65・8530)、榛原サンクシティ店(0745・85・2110)。

 ■■ 1月1日(祝) ■■

 
■謹賀新年2021
新年あけましておめでとうございます。
すっかりおなじみになった写団なばり代表、松田賢治さん(名張市新町)の新春写真展。1月1日付伊和新聞の「ふるさとなばり四季10景」では、ふるさとが見せるさまざまな表情を鮮やかなカラー印刷でお楽しみいただけます。
大正15年に誕生した伊和新聞は今年が創刊94年目。毎週土曜発行で、定期購読料は1か月760円です(送料別)。お申し込みは伊和新聞社(電話0595・63・2355)へどうぞ。 伊和ジャーナルと伊和新聞を、本年もよろしくお願いします。

■プロレベルのベテランメンバーも多数・フォトクラブ光影(名張市上八町)
フォトクラブ光影は、名張市民センター(上八町)で活動する写真クラブ。平成8年に名張公民館(当時)が、故菊田実氏(平成26年逝去)を講師に迎えて開講した写真教室が始まり。現在のメンバーは60歳代から80歳代までの男性9人、女性5人。「風景、花、スナップなど、それぞれに撮りたいジャンルがあるので、みなさんの意欲を尊重して自由に撮っています。クラブとして決まったジャンルはありません」と竹本健会長。
基本的に活動は、月1回。隔月でバスで撮影会に出掛けて、翌月は作品を持ち寄ってメンバーで講評会を行っている。
みんなで遠出することで、撮影意欲のスイッチが入る。竹本会長は、「春夏秋冬を感じられる場所を選んで撮影に行きますが、昨年は新型コロナの影響で、11月に長谷寺・談山神社に紅葉を撮りに行っただけでした」と話す。例年、作品発表を行う市民センターまつりや、菊田氏が市内で教えていた5クラブ合同の写真展も中止になった。「残念です。こうなるとやはり意欲が減衰します」と竹本会長。しかし、YouTubeに作品をアップするなど、新しい試みも始められている。
メンバーには、各種公募展に挑戦する人も多い。昨年、名張市美術展覧会で議長賞を受賞した松本順子さんもそのひとり。松本さんは「写真の初めはスマホから。もうちょっとちゃんと撮ってみたいと思ってカメラを買って、2年前にこちらに入会したばかり」と話す。同時期に入会して友人になったという鶴見秋子さんは「みなさんいい方で、いろいろ教えてもらえるのが良いところ」と。 講評会では、プロジェクターで作品を映し出して、意見を出し合う。アマチュアながらプロレベルのベテランメンバーも多く、伊和新聞新年号に例年掲載している新春写真展の松田賢治さんもそのひとり。構図のアドバイスや技術指導など、活発な意見が飛び交っていた。

フォトクラブ光影会長の竹本健さん


活発な意見が交わされる講評会

■いが再発見
「旧喜多藤」国登録有形文化財に
名張川沿いのかつての老舗料亭旅館「旧喜多藤(きたと)」の7件が国登録有形文化財(建築物)に選ばれた。国の文化審議会がこのほど文部科学相に答申した。指定・登録されれば、名張市の国登録有形文化財は13となる。廃業して40年以上がたち、現在はだれも住んでいない。初代名張市長として5期務めた北田藤太郎さん(1906〜85年)の自宅でもあるため、現在、屋敷を管理している長女の松田和代(72)・博治(ひろじ=78)夫妻に内部を案内してもらい、合わせて一人娘の和代さんに父親の思い出を語ってもらった。
松田和代・博治さん
ふだんは人が住んでいないため、松田夫妻に門のカギを開けてもらう。旧初瀬街道に面した瓦屋根の立派な表門。この門も今回リストアップされた。主屋の別館に向かう通路は手入れがなされ、途中には池がある。和代さんによれば「竜宮城をイメージしている」という。なるほど中央に亀の形をした大きな石。その横に浦島太郎が配置されている。現在は水抜きされているが、水を張れば竜宮城に見えるに違いない。なかなかの趣向である。
正面に見えるのが別館。1923年(大正12)に建てられた。その右に大広間棟、手前が便所棟だ。便所棟を指して博治さんがいう。「このすだれ模様の垣根は私が修理。あの別館の2階の屋根や雨どいも直しました。素人なので見よう見まねですが。けっこう大変でした」
博治さんによると月に何回か建物の手入れのため桔梗が丘の自宅から通っているという。「仕事をリタイアした今は、他人に依頼すれば修繕費用も掛かるため、できるところは自分で修理して、今後の保存につながればと考えてやっています」
伊勢湾台風
ここで和代さんから思わぬ話を聞かされた。建物は1954年(昭和34)の伊勢湾台風で浸水の被害に遭ったというのだ。名張でも死者11人が出る大災害だったが、この「喜多藤」も1階にあるタンスの上あたりまで水につかったという。「その日は、近所の医院の先生が博士号を取られたお祝いの席でした。宴たけなわでしたが、名張川沿いでしょう。見る見るうちに水があふれて大騒ぎになったと聞いています」
しかし、その水害にもこの旅館は耐えた。よほど作りが堅固だったに違いない。別館1階に建設当時、川床を設けて芸者とひいきの客が映っている写真がある。伊勢湾台風以前、別館は名張川の川岸にあったことがこれから分かる。かつては窓から名張川が眺められる風情があったが、河川改修の結果、道路が旅館の後ろを走り、風景ががらりと変わってしまったのだ。
別館2階から大広間棟はつながっている。博治さんによれば部屋は44畳と20畳の2間。1936年(昭和11)に建てられたが、ここで100人規模の結婚式が行われたという。「こんな大きな式場は当時、名張にはほかになかったそうです」と和代さん。もちろん、和代さんたちもここで結婚披露宴を開いた。それだけに懐かしい場所でもある。
艶秀亭
廊下に出ると「艶秀亭(えんしゅうてい)」の額がかけてある。この名前は別棟のはずだ。その疑問に、和代さんが答えてくれる。「これは作家の岩谷小波(いわや・さざなみ)さん(1870〜1933年)が1932年(昭和7)に滞在したときに書いてくれたものだと聞いています。今はとりあえずここに置いてあるだけ」
確かに署名もある。小波といえば明治の文学者、尾崎紅葉の作家仲間。紅葉は小説「金色夜叉(こんじきやしゃ)」が有名だが、その主人公・間貫一は実は小波がモデルといわれる。児童文学の先駆者でもあり、「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」などの民話を世間に紹介した。その小波が晩年に書いた貴重なものである。
別館しもての艶秀亭に向かう。そこは本来、小波の額がかけられていた場所。客室もあり北田元市長が晩年、自宅として使っていたところだ。翠明(すいめい)荘にも客室があり、謡い、長唄、句会などの集まりにも利用されていたという。皐月(さつき)寮は茶室で、いかにも風流人好みのしつらえとなっている。
県文化財指導委員の岩見勝由さん(70)に「旧喜多藤」が登録文化財に選ばれた意義を聞いてみる。「伊勢参宮に向かう旧初瀬街道沿いにあり、名張川の眺望もいい。明治から廃業する昭和56年(1981年)まで由緒ある料亭旅館として長らく存続してきた貴重な建物。規模の大きさとしては名張で唯一のものです。ここで結婚式を挙げた地元の人も大勢いるはず。その意味ではだれでも知っている場所ではないですか」
父・北田藤太郎さん
名張市長を20年務め、名誉市民にも選ばれた北田藤太郎さんの長女、和代さんに父親の顔を話してもらう。「私が物心ついたころから結婚する(21歳)までずっと市長をやっていました。忙しい人でしたが、子煩悩(ぼんのう)でもありました。父は歌舞伎が大好き。忙しい合間を縫って大阪である芝居や京都の顔見世などによく連れて行ってくれました。ただ、本人は役者がグダグダしゃべるのを聞くのは苦手。勧進帳が気に入りで、弁慶が巻き物を広げて読み上げるのに聞きほれていました。あるとき、小屋の人に弁慶が読むのは何分後かと聞いたりしていました。小屋の人は変な顔をしていましたが、その場面がくるまで中抜きして隣のパチンコ屋に行っていたようです」
話だと、相当せっかちな人だったらしい。名張に2軒あった映画館にもよく連れて行ってもらったという。「当時人気のあった『旗本退屈男』も一緒に見た覚えがあります」
北田元市長は青蓮寺ダムや観光道路の建設、桔梗が丘団地の開発などインフラ整備に力を注ぎ、名張市の基礎を作った人でもある。人をまとめるのに苦労もあったはずだが、和代さんから見るとどうなるか。「父の口ぐせは、この世に起こったことはこの世で解決できる、といつも言っていました。また座を盛り上げるのが得意でしたね。具体的には言えませんが、すごく面白い考えを持っていた人だと思います」 そんな思い出の詰まった屋敷に、ときどき孫も連れてきているという和代さんは「歴史のある旅館ですし、登録文化財に指定されたのを機に、できるだけ長く保存できるようにこれからも努めたい」と話した。(小谷 虎彦)。

「旧喜多藤」の表門の前に立つ松田和代さん(右)と夫の博治さん


別館の北側表玄関


建設当時の別館の川床で写真に納まる芸者とひいき客


岩谷小波が揮ごうした艶秀亭の額

■松田賢治(写団なばり代表)
新春紙上写真展


春うらら ある屋敷跡に残る1本の枝垂れ桜 今年も満開。赤目町壇


盛夏の貴婦人 盛夏が似合う西洋芙蓉 特急「しまかぜ」が趣を添えて。矢川


晩秋の銀河 渓谷は紅葉 見上げれば満天の星。香落渓

廃寺跡冬日 夏見廃寺跡 今日は白装束で。夏見