■■ 2月10日(土) ■■

 
■伊賀再発見(14)白秋の妻は名張出身
近代日本を代表する詩人・北原白秋の最初の妻は名張出身、それもとびっきりの美人だった。「邪宗門」や「からたちの花」「城ケ島の雨」の白秋が、一方で人妻と姦通事件を起こしたことも知っていた。その人妻が旧姓福島俊子。同市下比奈知の漢方医の娘で、郷土史家、奥西勲さん(76)の自宅から100メートル南の近所に住んでいた、と分かった。その事実を知ったとたん、日本文学史上の遠い存在だった白秋が、私には、にわかに近しい人間として感じられるようになった。
まず掲載の写真を見てもらいたい。これは1921年(大正10)4月、俊子の父親・陞(のぼる)の葬儀が地元、下比奈知で行われた時に撮ったものだという。俊子は32歳。和服姿で憂いを帯びた大きな目が印象的。一般に時代がかった写真はセピア色で、表情も硬いものが多いが、これは違う。目鼻立ちがくっきりとして、ひと目で美人と分かる顔だ。
この写真を見つけ出したのが奥西さんだ。歴史には興味があっても文学とは縁がなかったという奥西さん、1973年(昭48)に初めて白秋の最初の妻が、自宅のすぐ近くに住んでいたことを知り、これがきっかけで、俊子の足跡を調べ始めた、という。そして2008年(平成20)、それまで晩年の写真しかなかった俊子の若いころの写真を神奈川・鎌倉の俊子の親族宅で見つけ、発表したのだ。
生前の俊子さんを知る人にも奥西さんは取材している。当時、存命中の辻本卯助氏。小学生のころ俊子の実家によく遊びに行ったという。その第一印象は「そりゃあ、べっぴんさんやった」。それに「俊子さんは背が高く、色が白くて顔の彫りが深かった。ほんとうに日本人離れした人やった。いまだに忘れられない」と奥西さんに話してくれた。
アイロン掛けで鮮明に覚えていることもあった。「あるとき、俊子さんから旧式の炭火を使うアイロンを取ってといわれた。アイロンの底にすこし灰が付いていたら、それを見とがめて、ちゃんと灰を払って持ってきてと。言葉ではなく、しぐさで表現されたので、卯助さんは思わずハッとしたという…
続きは1月20日号の伊和新聞で掲載しています。
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