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■いが再発見No168 30周年迎え記念公演 名張子ども狂言の会
能楽の大成者、観阿弥が座を初めて立ち上げた名張・小波田で伝統芸能を継承しようと創立された「名張子ども狂言の会」が今年で30周年を迎えた。その記念公演「名張能楽祭 狂言を楽しむ」が7月10日、同市松崎町のadsホールで開かれる。当日は午後1時半開演。演目は子どもたちによる「蟹山伏(かにやまぶし)」、連吟「京童(きょうわらべ)」、会の先輩による狂言「鬼瓦(おにがわら)」、大蔵流狂言師、茂山七五三(しめ)・宗彦(もとひこ)親子らによる狂言「水掛聟(みずかけむこ)」がある。創立当初から会を支え続けてきた2人の女性にこれまでの思い出を聞いた。
1人は同会の代表、竹島美加子さん(66)。「30年間やってきましたが、狂言を通じて子どもの成長を見ることができましたし、私自身としても狂言という伝統文化に触れて、それまで知らなかった世界を知ったことと、家元さんを始め人とのつながりができました。これは私の宝物です」と振り返った。
竹島さんは伊賀上野の出身。名張市上小波田に嫁いで初めて、そこが能楽の祖、観阿弥の妻の出生地であり、彼が座を起こした場所であることを知ったという。「能楽は教科書で習っただけの素人。経験は全くありません。でも、上小波田が観阿弥さんのご縁の地であるなら、もっといろいろ関わりたいと思ったのです。だから私は、飛びつくようにして子ども狂言の会の設立に加わりました」
同会の発足は1991年(平成3)4月。当時は子どもの数も多く、全員入会させることができず、人数を絞らざるをえなかった。「けっきょく小学生は高学年から中学生まで。30人前後ではなかったでしょうか」と竹島さん。
しかし、苦労もあったという。「田舎の子どもにとって狂言はなじみがないでしょう。最初はみな、戸惑ったと思いますよ。セリフはもちろん衣装も現代にはマッチしませんから」
それ以上に苦労したのは、狂言の指導をした大蔵流狂言師の茂山七五三さんではなかったか、と竹島さんは思いやる。「先生は月1回、京都からわざわざ来てもらっていました。狂言は口伝ですので、先生の発音通りに習う。ワンフレーズずつ。でも子どものことでしょう。発音に慣れないし、繰り返しの練習に飽きたこともあったでしょう。それでも先生はあきらめず丁寧に指導してくださった。本当にやさしかったですよ」
竹島さんには3人の男の子がいるが、みな狂言を習ったという。「設立当初、上の子は小学4、5年でしたか。それがもう40歳になるのですよ。その息子が25周年記念会にОBとして出演。『棒しばり』を演じたのですが、そのときの彼のコトバが今も胸に残っています。小さいころ身につけた芸が今でもちゃんと発揮できた。本当に習ってきてよかった。間の取り方、立ち居振る舞いは大人になっても役に立っているかもしれん、と。そして私も子どもと付き合い、その成長ぶりを間近に見られてよかったと思っています」
もちろん地元のバックアップもある。コロナ禍の中で全体の練習はないが、自主練習は月2回くらいやっているのだ。そこには地元の子ども狂言のОBも顔を出してくれる。…
続きは6月12日号の伊和新聞に掲載しています。
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「名張能楽祭」のパンフレットを手にする竹島美加子さん