■■ 5月20日(土)伊賀版■■

 
■前田教育会館が25周年
「地域とともに、あしたへ」6月に記念事業の一人芝居
伊賀市大谷の前田教育会館が開館25周年を迎え、運営を手がける公益財団法人前田教育会は来年3月まで「地域とともに、あしたへ」を合言葉に多彩な記念事業をくりひろげる。6月には同市出身の俳優、山路和弘さんによる一人芝居の公演があり、前売り券を発売している。
同会は大阪で建設機械器具製造などの会社を経営した伊賀市出身の故・前田維さんが平成元年、郷里の人材育成や文化振興を目的に設立。「人を育てます。文化を育てます。地域を育てます」をテーマに活動を開始し、234席の蕉門ホールを擁する会館は4年11月にオープンした。蕉門は芭蕉の門人を意味する言葉で、会館では蕉門大学と名づけた各種文化講座も開催され、生涯学習の拠点となっている。
山路さんの舞台は6月2、3両日。5月下旬に東京で行われる劇団青年座のスタジオ公演「江戸怪奇譚 ムカサリ」の伊賀上野公演として上演される。原作は朗読劇を中心に多様な作品を手がける劇作家の藤沢文翁さん、脚色・演出は青年座の金澤菜乃英さん。元禄時代を背景に、裕福な家に生まれた娘と没落した旗本をめぐる怪異を描く。
山路さんは1954年生まれ。79年に青年座に入団し、舞台、ミュージカル、映画、テレビドラマのほか、洋画の声優などでも幅広く活動。2010年に菊田一夫演劇賞を受賞し、14年にはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で安国寺恵瓊を演じた。
2日は午後7時、3日は午後1時30分に開演。前売りは一般3,500円(当日4,000円)、高校生以下は2,500円(同3,000円)。
6月25日には惠村友美子さん(ピアノ)と佐藤恵梨菜さん(ヴァイオリン)のユニット「いちごに」の「一期一会のコンサート」が記念事業として催される。惠村さんは同市出身で、東京芸術大学器楽科ピアノ専攻卒業。同会の奨学金を受給した。
午後2時に開演し、オリジナル曲を含むプログラムを披露する。前売りは一般1,000円(当日1,500円)、小・中・高校生は500円(同1,000円)。 問い合わせは同会(0595・24・5511)へ。

■伊和新聞4000号発行
名張市を拠点に発行をつづける伊和新聞は5月13日の発行分で4,000号の節目を迎えた。
創刊は大正15年8月21日。伊和新聞社初代社長の岡山実によって発刊された。岡山は阿山郡山田村(旧大山田村)に生まれ、大正末年、名張に移って「新愛知」(中日新聞の前身のひとつ)の販売と通信に従事したが、やがて印刷業と同時に伊和新聞の発行をスタートさせた。
当初は一般的な新聞のほぼ半分のサイズのタブロイド版で、16ページ建て。月3回の発行だった。紙名は地名の伊賀と大和に由来している。 戦中の企業整備で発行の中断を余儀なくされたが、昭和22年に復活して現在に至っている。伊賀地域では明治以降、地方紙が少なからず発刊されたが、伝統的な地方紙として発行されているのは伊和新聞だけになった。

■きょうから小牧昭夫さん陶展
名張市桔梗が丘5番町の陶芸家、小牧昭夫さんの個展「小牧昭夫陶展」が20日から28日まで伊賀市上野福居町のギャラリー「アートスペースいが」で催される。
小牧さんは昭和14年、シュールレアリスムを追求した洋画家、小牧源太郎さん(明治39年―平成元年)の長男として京都市に生まれた。京都工芸繊維大学窯業工芸学科を修了、民間企業で電気化学の研究開発に携わり、定年退職後の平成12年、以前から興味があった陶芸の世界に入った。
平成15年以降、名張市美術展で市長賞を受賞したのを皮切りに各種公募展などで入賞や入選を重ね、個展、グループ展に出品。一昨年から今年にかけては京展で楠部賞、三重のやきもの展で知事賞を獲得し、現代茶陶展と大阪工芸会展で入選を果たした。
今回の個展は「無限のオモシロサとキビシサを求めて」をテーマに、泥状の土と乾燥させた土を用いる「泥乾報」という独自の技法で生み出した作品を披露する。 午前11時から午後6時(最終日は5時)まで。問い合わせは同ギャラリー(電話0595・22・0522)へ。

■芭蕉祭バンド参加者を募集
伊賀市は10月12日の第71回芭蕉祭式典で演奏する「芭蕉祭フェスティバルバンド」のボランティア参加者を募集している。
対象は、楽器を所有し、練習と式典に参加できる18歳以上の人(高校生を除く)。親子などで参加する場合は18歳未満でもよい。
募集パートは、フルート、オーボエ、バスーン、クラリネット、サキソフォン、トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニューム、バスチューバ、パーカッション、コントラバス。
式典は午前9時25分から11時30分まで上野公園俳聖殿前広場で催され、「芭蕉さん」「芭蕉翁讃歌」「芭蕉」「奥の細道」などを演奏する。
練習日は、5月26日、6月2・23日、7月14日、8月4・25日、9月15・30日、10月9日。練習は@ウォーミングアップ(午後7時30分〜8時)A合奏練習(8時〜9時30分。途中休憩を含む)。練習場所は上野西小学校多目的ホールだが、9月30日と10月9日はハイトピア伊賀5階多目的大研修室で芭蕉祭市民合唱団と合同練習(@午後7時〜7時30分A7時30分〜9時30分)。 申し込み、問い合わせは市企画振興部文化交流課(〒518‐8501 伊賀市上野丸之内116番地 電話0595・22・9621、ファクス0595・22・9694、電子メールbunka@city.iga.lg.jp)へ。郵送、ファクス、電子メールの場合は、住所、氏名、年齢、電話番号、所有楽器名、楽器演奏経験を記載して申し込む。


●創造美術会中部支部展 31日から6月4日まで伊賀市西明寺、市文化会館で。ホワイエに洋画、多目的室に日本画を展示。初日と最終日の午前11時から正午まで支部長の森公美さんによるギャラリートーク。問い合わせは森岡達生さん(電話0595・23・0857)へ。
●写団なばり写真展 6月9日から11日まで名張市元町、リバーナホールで。連作、組写真の魅力を追求する会員13人が出展。


山路和弘さん


前田維さん


開館25周年を迎えた前田教育会館(伊賀市大谷)


大正15年8月の創刊以来4,000号となった5月13日付伊和新聞の紙面

 ■■ 5月13日(土)■■

 
■伊和新聞 きょう4000号発行
名張市を拠点に発行をつづける伊和新聞はきょう発行の5月13日号で4000号の節目を迎える。
創刊は大正15年8月21日。伊和新聞社初代社長の岡山実によって発刊された。岡山は阿山郡山田村(旧大山田村)に生まれ、大正末年、名張に移って「新愛知」(中日新聞の前身のひとつ)の販売と通信に従事したが、やがて印刷業と同時に伊和新聞の発行をスタートさせた。
当初は一般的な新聞のほぼ半分のサイズのタブロイド版で、16ページ建て。月3回の発行だった。紙名は地名の伊賀と大和に由来している。 戦中の企業整備で発行の中断を余儀なくされたが、昭和22年に復活して現在に至っている。伊賀地域では明治以降、地方紙が少なからず発刊されたが、伝統的な地方紙として発行されているのは伊和新聞だけになった。

■前田教育会館が25周年
「地域とともに、あしたへ」6月に記念事業の一人芝居
伊賀市大谷の前田教育会館が開館25周年を迎え、運営を手がける公益財団法人前田教育会は来年3月まで「地域とともに、あしたへ」を合言葉に多彩な記念事業をくりひろげる。6月には同市出身の俳優、山路和弘さんによる一人芝居の公演があり、前売り券を発売している。
同会は大阪で建設機械器具製造などの会社を経営した伊賀市出身の故・前田維さんが平成元年、郷里の人材育成や文化振興を目的に設立。「人を育てます。文化を育てます。地域を育てます」をテーマに活動を開始し、234席の蕉門ホールを擁する会館は4年11月にオープンした。蕉門は芭蕉の門人を意味する言葉で、会館では蕉門大学と名づけた各種文化講座も開催され、生涯学習の拠点となっている。
山路さんの舞台は6月2、3両日。5月下旬に東京で行われる劇団青年座のスタジオ公演「江戸怪奇譚 ムカサリ」の伊賀上野公演として上演される。原作は朗読劇を中心に多様な作品を手がける劇作家の藤沢文翁さん、脚色・演出は青年座の金澤菜乃英さん。元禄時代を背景に、裕福な家に生まれた娘と没落した旗本をめぐる怪異を描く。
山路さんは1954年生まれ。79年に青年座に入団し、舞台、ミュージカル、映画、テレビドラマのほか、洋画の声優などでも幅広く活動。2010年に菊田一夫演劇賞を受賞し、14年にはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で安国寺恵瓊を演じた。
2日は午後7時、3日は午後1時30分に開演。前売りは一般3,000円(当日4,000円)、高校生以下は2,500円(同3,000円)。
6月25日には惠村友美子さん(ピアノ)と佐藤恵梨菜さん(ヴァイオリン)のユニット「いちごに」の「一期一会のコンサート」が記念事業として催される。惠村さんは同市出身で、東京芸術大学器楽科ピアノ専攻卒業。同会の奨学金を受給した。
午後2時に開演し、オリジナル曲を含むプログラムを披露する。前売りは一般1,000円(当日1,500円)、小・中・高校生は500円(同1,000円)。 問い合わせは同会(0595・24・5511)へ。

戦後の成長を支え 故郷の発展を願う
前田維さんの生涯

前田教育会を創設した前田維さんは明治45年7月16日、阿山郡府中村外山(現・伊賀市外山)で農家の三男として生まれた。半月後の30日、明治天皇が崩御し、元号は大正に変わる。日本は近代国家として急速な成長をつづけ、やがて戦争への道のりを歩み始める。そして戦後……。経済成長を企業人として支え、ふるさとのために私財を投じた前田さんの生涯を、前田教育会発行の『前田維翁 故郷への想い』(平成15年)にもとづいてたどってみる。
事業と戦争
前田さんは昭和6年5月、19歳で故郷を離れ、大阪で建設機械の製造と修理を手がける渡辺鉄工に就職した。営業の仕事で大阪のまちを駆け回り、勤勉な働きぶりで会社からも得意先からも大きな信頼を得た。
昭和12年5月、渡辺鉄工の社長から独立を勧められ、都島区で前田工務所を創業。渡辺鉄工の下請けとして事業を始めた。25歳で一国一城の主となった前田さんの運命は、その直後に急転する。同年8月、召集令状が届いたのだ。
同年7月、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争の火ぶたが切られていた。前田さんはその戦線に送られることになった。渡辺鉄工の社長や得意先に事情を説明して相談し、兵役を終えるまで前田工務所を渡辺鉄工に預ける話がまとまった。
前田さんは大陸で2年間、転戦をつづけ、迫撃砲弾を受けて左脚に重症を負った。野戦病院で応急処置を受け、大陸各地を移送されたあと、ようやく内地に戻って京都陸軍病院に落ち着いた。
その後も病院で療養をつづけ、召集解除となったのは昭和16年9月。傷痍軍人として大阪に帰り、10月に前田工務所を再開。事業拡大を進めて建設業界に地歩を固めていったが、昭和20年6月の大阪大空襲で工場と住居を失い、家族で府中村へ帰った。
終戦と復興
昭和20年8月15日、太平洋戦争が終戦を迎え、戦後という新しい時代が始まった。前田さんは11月、大阪に戻って事業再開のために奔走。翌年1月、前田工務所は城東区の新社屋で業務を開始した。
戦後の復興はバラックの建築から始まった。前田さんが製造を念願していた本格的な建設機械は必要とされなかった。しかし昭和25年に朝鮮戦争が勃発、日本はアメリカを中心とする国連軍の基地となり、物資の調達や兵器の修理などの需要が生み出されて、朝鮮特需と呼ばれる好況が到来した。
前田さんが待ち望んでいた時代が到来した。朝鮮戦争は昭和28年に終結し、特需景気も終息したが、戦後日本の経済復興が本格化していた。官公庁や民間のビル建設が堰を切ったように始まり、鋼構造建築が全国で建設され始めた。
前田工務所は昭和25年、組織を変更して城田鉄工となっていた。前田さんはその代表取締役として、水を得た魚のように事業に力を注いでいった。
躍進と信頼
前田さんの指揮のもとで全社一丸となった城田鉄工は、昭和30年代から40年代にかけてめざましい躍進を遂げ、建設関連企業から確固たる信頼を寄せられるようになった。取引先企業には鹿島建設、大林組、清水建設、鴻池組、間組、鉄建建設、石川島播磨工業、三菱重工など日本を代表する大手が名を連ね、ほかにも準大手や中堅など百を超える会社が得意先となっていた。
日本社会は経済の高度成長を達成しつつあった。敗戦国日本が国際社会の一員として復興を果たしたことは、昭和39年の東京オリンピックと45年の大阪万博というふたつの国際イベントによって世界に発信された。45年、日本の経済規模は過去10年間で約3倍に成長し、日本は終戦から25年で世界有数の経済大国となっていた。
昭和40年ごろまで土木建設基礎工事用のコンクリートミキサーや動力巻き上げウインチなどを製造していた城田鉄工は、40年代に入って新たに基礎工事杭打ちリーダーを普及させ、建設業界で不動の評価を手にした。
経済発展は社会資本の整備を促進した。高い技術力の要求される大規模工事が計画され、建設機械の分野では日進月歩のスピードで改良と開発が求められた。城田鉄工はそのニーズに応え、五輪と万博に関連する大規模工事で重要な役割を果たした。
名神、阪神、名阪など高速道路建設の基礎工事用機器でも、城田鉄工の製品が力を発揮した。東海道、山陽新幹線の建設工事では関西唯一の指定工場となり、前田さんは企業人として日本経済の成長をしっかりと支えつづけた。
未来と人材 
仕事の第一線から身を引いたあと、前田さんはふるさとに目を向けた。教育の重要さをよく知り、49歳で大阪学院大学商学部を卒業して「生涯勉強」をモットーにしていた前田さんは、ふるさと伊賀の未来を託す人材を育てるために教育財団の設立を企画。着々と準備を重ね、私財八億円を投じて平成元年1月、前田教育会を創設した。
同会の設立趣意書には、活力あふれた心豊かな地域社会を実現するため、地域住民の生涯学習の場となる施設を整備し、無償の奨学金給付、学術文化研究活動の助成などを進めて有能な人材を育成するという前田さんの願いが明記されていた。
財団の発足記念講演会で、前田さんは理事長として「われわれ日本人は非常に勤勉な国民であったから、あの厳しかった敗戦から立ち上がって、経済大国といわれるまでに栄えてきましたが、ここで一番大切なことは、これからの日本を支えてくれる若い人々をひとりでも多く育てること、立派な心がけの人を育てることであり、それが前田教育会の精神でもあります」と挨拶し、地域住民の協力と支援を求めた。 前田さんはその後も、平成6年に社会福祉法人「維雅幸育会」を設立、9年には伊賀文化産業城登城門を設備するなど地域貢献に尽力し、15年に旧上野市から名誉市民の称号を贈られた。19年10月2日、93歳で世を去ったあとも、前田さんの願いは前田教育会をはじめとした多くの関係者の手で伊賀の地に引き継がれている。


蓮善隆陶展 12日から17日まで名張市新田、堤側庵ギャラリーで。蓮さんは昭和21年、長崎県佐世保市生まれ。50年に伊賀へ移住して番浦史郎さんに師事し、4年後に築窯した。57年の初個展以降、海外も含め各地で個展を開催している。午前11時から午後6時まで。問い合わせは同ギャラリー(電話0595・65・3002)へ。


大正15年8月21日発行の本紙創刊号




前田維さん


開館25周年を迎えた前田教育会館(伊賀市大谷)