■■ 2月1日(土) ■■

 
■伊賀再発見 No58 伊賀路で祈る商売繁盛、家運隆昌
関西の「十日えびす」は終わったが、伊賀地域の「えべっさん」は19、20日に伊賀・恵美須神社で「初えびす」があり、名張の蛭子(えびす)神社では来月7、8日に別名「ハマグリ市」としても知られる伝統の「八日えびす」が行われる。「吉兆」(きっちょう、けっきょ)と呼ばれるササやネコヤナギの枝で作った縁起ものを社務所で授かり、商売繁盛や家運隆昌を祈る庶民のお祭り。上野市民には「初えびすまではお正月」との思いが、名張では、この時期によく雪が降ることから「これが終われば春も近い」との願いがある。(小谷虎彦)
山本寛さん
伊賀鉄道・茅町駅から歩いて5分のところにある恵美須神社。創建は16世紀、室町時代に遡(さかのぼ)るというから歴史は古い。上野恵美須町の現在地に移ってきたのは1996年(平成8)のこと。ふだんはひっそりとしているが、「えべっさん」のときだけは、狭い境内は大勢の人でごった返す。初えびすを仕切る「恵美須神社奉賛会」会長、山本寛さん(68)に話を聞く。
「祭りが盛んになったのは戦後の1951年(昭和26)ごろから。町名の恵美須は祭りをするからと名づけられたものでした。昔は道中踊りと称して、町中を踊って歩いたそうです。現在は境内で踊るだけになりましたが」
参拝者に福笹や熊手などの縁起物を授けるのは福娘。小学4年から中学2年までの女の子10人だ。「学校にも協力してもらっている」という山本さんだが、この選考にも苦労がある。「とにかく少子高齢化の時代でしょう、子どもが少なくて。町内で子どもの出生が年間1人という年もありました。いまは10人くらいかな。ただ、男の子が多くて女子が少ないのがつらいところです」
苦労はほかにもある。祭りの準備に1か月半ほどかかる。吉兆の福笹づくりも人手がいるのだ。「昔は手伝ってくれる人は強制的に仕事を休ませていましたが、いまはそうはいきませんし。それに若い人も少なくなってきました」。そこで考えたのが手間ひまをなるべくかけない方法。たとえば、これまではササに縁起物のタイやサイコロ、お金などを結び付けるのはすべて手作業だった。これを何とか市販のもので代用できないか、と。「それを模索しています」と山本さん。
ただ、その基本にあるのは何とか伝統を次の世代に守り伝えたいとする山本さんの思いだ。「ここ10年くらいは初えびすを守ってやってくれる人はいます。しかし、それ以後はちょっと不安がありますね」
そうはいいながら、山本さんにとって初えびすは冬の風物詩でもある。「恵美須町の人間にはこの行事が済まなければお正月は終わりませんから」。
山村紀生さん
古くからハマグリ市として名高い名張・蛭子神社の「八日えびす」は2月7日の宵宮、8日の本宮の2日間。狭い境内には2日間で地元はもちろん草津、奈良、伊勢などからの3万人の参拝客でにぎわう。特に顕著なのは近年、本宮よりも宵宮のほうに人出が多くなった。「勤め帰りに立ち寄る人が増えたのでは」というのが、その理由だ。
1973年(昭48)から45年間、蛭子神社総代を務めている「えべっさん」の生き証人ともいえる山村紀生さん(78)に、これまでの歴史を話してもらう。
名張は古くから奈良と伊勢を結ぶ街道の要衝の宿場町として栄えた。山の幸としては植木苗、なりものとしてカキやミカン、海の幸としてハマグリや魚などを交換する市が盛んに開かれた。その伝統を引き継いでいるのが八日えびすだ。「このごろ露店は片側だけになったが、昔は両側いっぱいに店が並んでいました。スーパーマーケットができるまではハマグリを売る… 続きは1月19日号の伊和新聞に掲載しています。※ご購読は名張市上八町1482 伊和新聞社 電話63局2355まで。定価月650円(郵送地区別途)、一部170円。


「吉兆」を手にした恵美須神社奉賛会の山本寛会長


蛭子神社総代を45年間務める山村紀生さん


「よーおまいり」と声をかけ、吉兆を手渡す名張市蛭子神社福娘