■■ 1月1日(祝) ■■

 
■謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
すっかりおなじみになった写団なばり代表、松田賢治さん(名張市新町)の新春写真展。1月1日付伊和新聞の「ふるさとなばり四季10景」では、ふるさとが見せるさまざまな表情を鮮やかなカラー印刷でお楽しみいただけます。
大正15年に誕生した伊和新聞は今年が創刊94年目。毎週土曜発行で、定期購読料は1か月760円です(送料別)。お申し込みは伊和新聞社(電話0595・63・2355)へどうぞ。 伊和ジャーナルと伊和新聞を、本年もよろしくお願いします。

■名張駅前の冬を彩るイルミネーションイベント「2020なばり嬉来てピリオド」
昨年11月末から近鉄名張駅西口の市営駐車場付近で、街路樹などに約5000個のLED電球と約100個のランタンを灯す「2020なばり嬉来(うれき)てピリオド」が開催されている。このイベントは、名張市観光協会女性部会「ばりめっこ」が企画したもの。部会長で、企画立案を行ったのは有限会社「賛急屋」代表取締役の市橋雅美さん。
賛急屋は、昭和5年から続く老舗。今年は、創業90周年で、跡取りである息子の秀平さんと、自社イベントを企画している。「原点に戻って、名物の「なばり饅頭」を強化することと、市内外のいろんなイベントに参加していく方針」と市橋さん。
呑み処賛急屋は名張駅西口出てすぐ。現在は「ハッピーユーさんきゅうや」や「29BAR S」などの店舗も展開しているが、いずれも名張駅から徒歩5分以内にあって、市橋さんの駅前をなんとかしたいという思いは強い。
冬になれば、各地でイルミネーションが輝く。「大阪に遊びに行って、電車で難波から八木、桜井と駅前がキラキラしているのを見ながら帰ってきて、名張駅前をなんとかしないといけないと思っていた」と市橋さん。イルミネーションを・・と思い立ったのは5年程前。「イルミネーションがきれいだと、寒くても気持ちがウキウキするじゃないですか。それで、やりたいけど、どうしたらいいんだろう、市にも言わないといけないかな、いくらぐらいかかるんだろう・・と思っていたんです。でもなかなか実現に至らなかった。そうこうするうちに、2年程前に榛原駅もきれいになって焦ってきていた」と。
そこに、昨年、名張で初の女性理事のひとりとして観光協会に入ることになって、とんとん拍子に話がすすんだ。「構想を実現させてもらった」と話すが、協会から打診があってイルミネーションを提案したのは9月。準備期間は3か月弱しかなかった。時間がない中、全く白紙からのスタート。試行錯誤の連続だった。当初イメージしていたものの中には制限があってできないことも多かった。しかし、「とりあえず1年目だし、ここから広げていこうということで、まずはみんなで手作りでやり始めました」と。
一番苦労したのは、ランタン制作。白いクリアファイルを丸めて絵を描くようなものを簡単に想定していたが、風雨や電球の熱に耐えられる素材でないといけないので、ダメ。そこで、実験と会議を重ねることに。「みんな自分の仕事があるので、これだけに掛かるわけにはいかない。暇じゃないんで。ひとつのイベントにこんなに会議をするところはないんじゃないかと思うぐらい集まった」と振り返る。
また木の上に飾るのに、予算が足りず高所作業車が使えなくて、メンバーの家族や近辺の店舗従業員たちが、どうやったらきれいに飾れるかもわからないままハシゴで登った。「うちの息子も、子どもの時以来の木登りだったけど、随分上手に飾れるようになりました」と笑う。
11月29日(いいにくの日)に行われたオープニングイベントは、キッチンカーも出て想像以上に大勢が集まった。写真を撮っている人もたくさんいたが、まだ『インスタ映え』とまではいかない。「今はこれでも、ゆくゆくは観光協会で駅前全体を華やかにしたい。でも、駅前だけでなく、もっと各商店さんとか銀行さんなどが独自にイルミネーションで飾ってくれるようになることが一番いいと思う。お金もかかることですが、今はLEDだし、イルミネーション自体も昔ほど高額ではないので、みんなで地域を明るくさせてほしい」と語る。市全体が明るくなるようにとの思いだ。
「暗くて寒いとやっぱり心も財布もギュッと閉じてしまうと思うんです。そうすると消費も生まない」と持論を。
市橋さんの行動の原点は、生まれ育った名張が大好きだという気持ち。友だちを名張に呼ぶときには「名張はいいところやで」と言う。「名張はなんもないで」って言う人はよくいるんですけど、「国定公園の中だし空気はいいよ。リフレッシュするなら来てよ」って言えるような場所だと思うんですよ。大きなバスで来るのも観光だけど、地元の人が地元を好きになって、友だちに来てほしくなって、市内を案内するのも観光で、そういうのがいいなと思っているんです」と、観光に対する思いも人一倍。
名張の住人でも市内を知らない人は多い。そこが観光の強化をするためには大事なことだと思っている。まず地元の人に名張を好きになってもらいたい。「本当に自分たちが名張が大好きと思える町でありたいと思うんです」と熱い。 もともと人を驚かせたり楽しませたりするのが好きだから、イベントの企画はどんどん湧いてくる。2月8日には、クロージングイベントも行われる。現在、企画準備中。「みんなで気持ちをひとつにして盛り上げていきたい。そして、しっかり反省点をあげて今後に生かしていきます」。

名張市観光協会女性部会「ばりめっこ」部会長の市橋雅美さん

■いが再発見
忍者朱印の寺社巡り
伊賀忍者ゆかりの寺社を巡ってご朱印をもらうという女性に人気のツアーが「いがぶら」(通称)で昨年から始まった。「伊賀忍者回廊」と呼ばれ、全29のスポットの中から今回は城下町エリアにある5か所を回る。参加者は男性1人を除き、すべて女性。わざわざ大阪から駆け付けた人もいて、評判通りの人気である。約3時間のコースで、ご朱印も、住職や宮司が自らしたためる形式から印刷ずみの墨字に自分で朱印を押す略式まであるが、持参したご朱印帳が1か所ずつ増えていくのに参加者はいずれも満足そうだった。
上行寺
この日、上野市駅前に集まったのは15人。1組のカップルを除けばあとはすべて女性。ご朱印巡りが女性に人気があるのがよくわかる。みなさん、それぞれの手には朱印帳。しかし、よく見るとその朱印帳もお手製のものから市販のものまである。参加者のこだわりがあらわれている。
まずは寺町通りにある上行寺に向かう。道路を挟んだ両側に7つの寺が密集している。その1つが上行寺。ここは藤堂藩の藩祖・藤堂高虎をはじめ、以後10代にわたる藩主の菩提所である。門を入って本堂右側に墓がずらりと並んでいる。その墓で手前にあるのが高虎。墓石の高さは約2b。建てられてから400年はたつとかで、風雪にさらされ、墓石の字は読むことはできない。副住職の田中孝典さん(38)から墓の説明がある。「高虎公の墓は東京・上野公園内、津とここの3つがあります。遺骨はもちろん東京で、うちの墓には形見として着物の切れ端などが納められていると聞いています」
藩主たちの墓の向かいにも墓石が所狭しと並ぶ。これは奥方、側室、兄弟など50基余の墓石だという。「みなさん、藤堂家ゆかりの方たちですが、だれの墓かは定かではありません」と田中副住職。墓石は結構大きくて、しかも隣り合わせにびっしり並んでいる。それは私が見ても息苦しいほど詰まっている。これでは墓石の主もおちおち眠っていられないのでは、と心配する。高虎と忍者のつながりがよくわからないので、同行してくれた「伊賀流忍者博物館」の学芸員、幸田知春さんに聞いてみる。「高虎といえば伊賀忍者にとっても大きく言えば領主ですから、関係があると思いますよ」
確かにそうだ。それに高虎は戦国時代をしぶとく生き抜いてきた武将。間諜(スパイ)として忍者を使ったであろうことは容易に想像できる。
万福寺
2つ目の寺はすぐ南にある万福寺。門前の石碑に河合又五郎の墓所とある。日本3大仇討の1つ、鍵屋の辻の決闘で荒木又右衛門に討たれる敵役その人である。その墓がここにあると初めて知った。ここは元平楽寺であったところでもある。平楽寺といえば、天正伊賀の乱(1581年)で、織田信長に攻められて滅ぼされたお寺のこと。それが名前を変えて再興されたのだ。幸田学芸員が説明してくれる。「平楽寺は天正伊賀の乱当時、忍者同士が集まって会議をした場所だといわれています。それが信長の恨みをかったのか焼き討ちされてしまった。その後、伊賀に入った高虎が、この寺を再興させたといわれています」
なるほど、それなら忍者とのつながりもよくわかる。本堂横の事務所ではお寺さんが参加者の持参した朱印帳にハンコを押すのにおおわらわ。辛抱強く待つ女性陣。一瞬の安らぎのひと時が過ぎていく。
松本院
この後、銀座通りを横切り、すぐ西にある松本院へ。伊賀には珍しい修験道の寺である。高虎がこの寺を祈願所にした。さらに3代藩主の眼病を大峰修験道信仰により住職が平癒(へいゆ)させたと感謝され、お礼に能面が下された。その鬼の面が、現在の上野天神祭の鬼行列の始まりになっているというのだ。同院と藤堂家の古くからのつながりをうかがわせるエピソードである。境内の一角に同寺の由来を書いた説明板がある。その横にクイズ試しの看板。@ナルトA忍たま乱太郎BサスケC忍者ハットリくん。そのうち伊賀忍者のアニメはどれか、という内容だ。答えは裏にあるというので、のぞいてみると正解はC。ただし、この4つを知らない人には難しい設問かもしれない。
愛宕神社・忍者神社
次に行ったのは上野丘陵の南の端にある愛宕神社。火伏の神、つまり火事のお守りさんである。石段を登って右側に本殿がある。1616年に建てられたことが棟札でわかるという。施主は藤堂高虎。極彩色の建物で、今も鮮やかな色をとどめている。その奥にあるのが忍之社。通称、忍者神社だ。幸田さんによれば、天正伊賀の乱で焼け落ちたこの愛宕神社の本殿を再興したのは小天狗清蔵だった。「彼は修験道の坊主で、ここを含めて20か所近くの建物を復興させました。もちろん高虎もそれに協力したのですが」
忍者神社での正式参拝の作法を幸田さんが教えてくれる。「まず2礼4拍手をします。次は剣印をつくります」
この辺りまではわかる。ただ「剣印と斜め九の字…」とか言われだしたらついていけない。仕方がないので最後の「1礼」だけはしっかり守っておしまいにする。それにしても参加者のみなさん、真剣な表情で、幸田さんのしぐさの真似をしていた。新居(にい)宮司が自ら朱印帳の文字を書いてくれる。宮司は一心不乱。だから書いてもらう方もありがたいと思い宮司の筆先を目で追っている。それが私にはよく分かる。これが参拝の本来の姿にちがいない。
西念寺
最後に寄ったのは西念寺。この寺と忍者とどんなつながりがあるのか幸田さんに聞いてみる。「ここは忍者の秘伝書『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』をまとめた藤林保武の墓のあるところですよ」
もちろん知らなかった。藤林家は百地、服部家と並ぶ伊賀忍者3大上忍の家筋。その墓が固まって並んでいる。その一角の右から4番目が保武の墓。墓碑銘は確認できないが、隣の墓に「富治林」という名字が見える。「藤堂家の藤と重なるから恐れ多いと、わざわざこの字を使ったようです」と幸田さん。説明を聞きながら、私の知らない封建時代の息苦しさも伝わってくる。帰り道、江戸時代の国文学者で天正伊賀の乱を記録した「伊乱記」や「伊賀忍者考」などの著書で知られる菊岡如幻(にょげん=1625〜1703)の旧宅跡を指して幸田さんがいった。「この人がいたから伊賀の歴史がわかるのです。忘れてはいけない人です」。 伊賀には私の知らない人が、まだまだいる。(小谷虎彦)。

愛宕神社宮司に書いてもらったご朱印帳


忍者神社で正式参拝する参加者たち

■松田賢治(写団なばり代表)
新春紙上写真展


春うらら 桜の名所、陽春の休日に。【黒田】


盛夏に競う 盛夏が似合うヒマワリ、夏雲が趣を添えて。【新田】


晩秋の里 冬支度の稲田、飼料の稲わら造形。【短野】

雪日の渓谷 観光名所の香落渓、今日は白装束で。【香落渓】