■■ 9月5日(土) ■■

 

■閉校記念碑除幕・旧三重県立桔梗丘高校
県立高校の再編で2年前に閉校した県立名張桔梗丘高校の閉校記念碑除幕式が8月23日に、高校跡地に移転した市立桔梗が丘中学校で行われた。
名張桔梗が丘高校同窓会閉校記念事業実行委員会の瀬森敏明会長や亀井利克名張市長ら約15人が出席。生徒用玄関わきに設置された記念碑の除幕を行った。記念碑の表には校歌と歴代同窓会役員の名前、裏面には効果ができるまでに歌われた愛唱歌が刻まれている。
同窓会は現在の桔梗が丘中学校に製氷機を寄贈、熱中症対策に役立ててもらうことにした。
名張桔梗丘高校は1973年に開校。卒業生は1万1千人以上だったが、名張西高校と統合した名張青峰高校が2016年に開校し、同校は閉校した。桔梗丘高校跡地には今年4月桔梗が丘中学校が移転した。

■いが再発見 No131 企画展「私たちの名張のまち」
戦災に遭わなかった名張には古い建物、町並みがよく残っている。すでに風景の中に溶け込んでしまい、ふだん住民には気付かれていない「名張らしさ」に焦点を当てた企画展「私たちの名張のまち」が安部田の名張市郷土資料館で開かれている(11月8日まで)。江戸時代、藤堂高吉によって整備され、いまも豊富な水量を誇る梁瀬(やなせ)水路、江戸川乱歩をはじめとする文人、歌人の文学碑など8つのテーマに分けて紹介する。同展を見て、あらためて現地を訪ねれば、今住んでいる町にさらに愛着がわくに違いない。
郷土資料館の2階が展示室。部屋に入ると、正面に1806年(文化3)に描かれた名張絵図が掲げてある。もとは名張藤堂家にあったものだという。「名張のまち」というタイトルがついているだけに、まずはここから見てみたい。説明をしてくれるのは郷土史家の門田了三さん(66)。かつての名張のまちは19に分かれていたという。「ここに本町の名前。その東が上横町、本町をはさんで西に下横町の名が見えるでしょう」
ながめると、絵図には確かにそう描いてある。その横にそれぞれの町名の由来が解説してある。
説明では、上横町はのちに上本町に、下横町は中町になっている。「本町に対して横町とはなんだ、とかいろいろあってその後の町名が生まれたと聞いています」と門田さん。町名には住民の感情も入っているのだと感じる。話から、整理しやすいため役所の都合で、古代以来の地名が、例えば1番町、2番町の名前に替えられ消えていったことが頭に浮かぶ。町の名前はけっこう大事なことなのだ。
門田さんが誇らしげに話したのが梁瀬(やなせ)水路。「各地に城下町は多いですが、名張は水量が多いのが特長。柳原町ではいまも家の下を水が流れていますから」
同水路は1636年(寛永13)に高吉によって整備された。水量が豊富で、初夏にはいまもショウブの花筏(はないかだ)が浮かべられるという。「榊町では夏になるとホタルが飛びかいます。水質が改善したからでしょうか」と門田さん。
その水路の様子が写真で展示してある。門田さんにいわれたせいもあるが、写真を見ていると、あとで行ってみたくなる。
この日、同館を小学2年生の息子、蒼太君(8)を連れて訪れた、市内に住む伊藤麻衣さんに感想を聞いてみる。「名張のまちのことがいろいろ分かるのでは、とやってきました。子どもにも名張のことをよく知ってほしい気持ちもあって。夏休みの宿題にちょうどいいのかなとも思っています」
続きは8月29日号の伊和新聞に掲載しています。
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桔梗丘高校の閉校記念碑


展示品を興味深そうに見る来館者