■いが再発見 No138「江戸時代の平尾村を歩こう」
コロナ禍のため中断していた名張市観光協会のボランティアガイドの説明による「江戸時代の平尾村を歩こう」のイベントが10月12日、45人が参加して、ことし初めて開催された。名張藤堂家に伝わる古地図をもとに同家に隣接する旧平尾村の域内の旧跡をたどるもの。現在は名張市の中心である近鉄名張駅前から宝蔵寺、宇流冨志祢(うるふしね)神社、徳蓮院、一宮(いっきゅう)神社、平尾山に至る3`のコース。新型コロナウイルス感染拡大防止のため密にならないように3班に分かれて行動したが、久しぶりのハイキングに参加者は満足そうだった。
本来ならば今年4回目となるはずのイベントだが、コロナ禍のため今回が初めての開催となった。「例会は昨年11月から開いていませんから11か月ぶりになるかな。久しぶりです」と「ボランティアガイドおきつも」の谷村賢二会長(71)は、ほっとした表情。「いつも同じことの繰り返しでは参加者に飽きられるので今回、古地図をもとにコースを設定してみました」
最初に行ったのは宝蔵寺。名張駅の西口を出て道路の向かい。すぐ目の前にあった。道路を渡り、迂回すると門に行きつく。入ると右手に子安地蔵堂。延命地蔵の赤い旗がある。中をのぞくと石仏が3体。向かって左の石仏は左肩から右わき下へ半分に割れている。袈裟(けさ)斬り地蔵といわれるゆえんだという。横にある説明によると、江戸中期、享保のころとあるから1700年代の初めごろ。藤堂藩邸に接する平尾村に夜ごとに化け物が現れて村人が恐れていた。それを藤堂家の家臣が一刀両断にしたところ、翌日、寺の前の辻にあった地蔵が袈裟懸けに斬られて転がっていた。その地蔵尊を供養するため、この寺で祀(まつ)ったのがこの子安堂とある。おまけに、その地蔵を斬った刀が山添村の神社に奉納され、今も現存しているとある。私にはまゆつばものだが、そこまで念入りに物語を仕上げた人たちには敬意を表したくなる。これだけでも、同寺は享保ころには存在していたことが分かる。住職によれば、寺歴は古く、奈良時代に遡るというが…
続きは10月17日号の伊和新聞に掲載しています。
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宝蔵院の境内にある袈裟斬り地蔵。
左から右に斜め2つに割れている |