伊賀地方のエゾ語系地名 著・元高校教諭 澤田謙三 ○プロフィール 東京の池袋に生れる(昭和6年2月25日) 戦災により、上津村に疎開する(昭和20年3月) 上野中学校第三学年に転入学する(昭和20年4月) 東京高等師範学校を卒業する(昭和27年3月) 東京教育大学(現、筑波大学)、福島県、東京都、大阪府にて教職に就く。 心の軌跡(同人誌)に、愛宕山、皇命、軽の乙女、斎宮、くわばらくわばら、 むかで、へび、宗像の神などを投稿する。 |
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■伊賀地方のエゾ語系地名 19 - 2005年8月13日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 20 - 2005年9月24日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 21 - 2005年10月22日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 22 - 2005年11月5日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 23 - 2005年11月26日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 24 - 2005年12月3日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 25 - 2005年12月日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 26 - 2006年1月14日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 27 - 2006年1月28日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 28 - 2006年3月11日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 29 - 2006年4月8日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 30 - 2006年4月15日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 31 - 2006年4月29日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 32 - 2006年5月20日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 33 - 2006年6月17日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 34 - 2006年7月1日(土)掲載 ■伊賀地方のエゾ語系地名 35 - 2006年7月22日(土)掲載 |
伊賀地方のエゾ語系地名 1 2005年1月1日(土)掲載 ▲トップ
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はじめに 伊賀地方には、縄文時代の早期から晩期までの遺跡があり、縄文人が約一万年もの間、伊賀の山野の狩猟採集の生活を送っていたことがわかる。また弥生時代の遺跡もあり、弥生人が山間部の小平地から平野部の広い土地へと水田の開発を行った過程を知ることができる。 古代史に登場してくるエゾは縄文人の後えいとされているが、そのエゾが、古代国家が大和に成立した後もなお大和に住んでいたようで、三輪山の木を伐さいしたため瀬戸内の地に移住させた、と日本書紀に書かれている。 伊賀地方はその大和の東隣の山深い地なので、より多くのエゾが居住していたと思われる。したがって、エゾやその祖先の縄文人が名付けた地名があり、伝承されてきたはずである。そのエゾ語系の地名をさがし、解読して、地名の意義を明らかにすることにより、伊賀の歴史と風土への理解を深めることを念願している。 |
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伊賀 伊賀地方は三重県の中西部に位置し、周囲を山で囲まれた、のどかな山里である。盆地状なので伊賀盆地とも言われるが、小山や丘陵が多く、平地はその間を流れる川沿いにあるにすぎない。 大化の改新後しばらくして、伊賀の国は伊勢の国から分離され、阿閉郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の四郡が置かれた。 阿閉郡は伊賀北部、柘植川と服部川(下流)の流域で、積殖(柘植)、河合、印代、服部、三田、新居の六郷からなる。 山田郡は伊賀頭部、服部川(上流・中流)の流域で、川原、竹原、木代の三郷からなる。 伊賀郡は伊賀南東部から中、西部にかけて、木津川、一部は名張川の流域で、阿保、安我、神戸、猪田、大内、長田の六郷からなる。 名張郡は伊賀南西部、名張川の流域で、名張、夏見、周地の三郷からなる。 この国郡制は、明治二十二年の町村制施行まで続いた。その後、昭和三十年前後の町村合併を経て、平成十六年十一月に名張市を除く市町村が大合併し、伊賀市が誕生した。 伊賀の地名については次の説がある。 (一)険しい山の意のイカに由来する。 (二)恐しいの意のイカルに由来する。 (三)山栗のイガに由来する。 (四)伊許速別命(垂仁天皇の皇子)の名にちなむ。 (五)伊賀臣の居住地にちなむ。 (六)安我津媛の安我が伊賀に転化した。 (七)アイヌ語(北海道のエゾ語)の山越えの意のイカに由来する。 〔参考〕周囲の山地 東側にはほぼ南北に連なる布引山地があり、笠取山(844b)が最も高い。北側には水口丘陵と高旗山地があり、高旗山(710b)が最も高い。南側には室生火山群があり、尼ケ岳(957b)は伊賀富士とも言われている。西側には大和高原(400〜500b)がある。 名張 夏見 周地 |
伊賀地方のエゾ語系地名 2 2005年1月15日(土)掲載 ▲トップ
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蔵持 蔵持は名張川中流の右岸にあり、簗瀬の川下にあたる。 昔は簗瀬郷に所属していた時もあった。地内の塚原には古墳群がある。 蔵持の地名については、車持から転化したと言われている。なお、古名の車持は、車持民が居住していたことにちなむとされている。 地内には草田の地名がある。この草田はエゾ語のクサ トィ(舟で渡る、渡す)に由来し、舟で渡る、渡すの意の地名であると思われる。草津(滋賀県)、鳥羽のクサ(京都府)、浅草(東京都)などは皆、渡舟場である。 また、登尾(のぼりお)の小字名があるが、これもエゾ語ヌプリ オウシ(山麓)に由来し、山の麓の意の地名であると思われる。 |
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大屋戸 松原zz 夏秋 |
伊賀地方のエゾ語系地名 3 2005年1月22日(土)掲載 ▲トップ
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短野 短野は名張川中流の左岸で、川沿いから離れた山間部に位置する。 古代から、この地を含む山地は、東大寺の杣(そま)地であった。この杣から切り出された材木は名張川まで運ばれて、?に組まれ名張川を下り、木津へ運ばれた。 短野の地名は、短い野があることによると言われている。 地内に浮池がある。この浮池(うきいけ)は、杣から切り出された材木を一時浮かせておく池である。池に材木がたまると堤を切りくずし、池の水とともに木材を谷から名張川へ流した。昔の人が考え出した木材の運搬法である。 また、地内には柳谷(小字名)がある。柳が生いしげっていた谷であるとされているが、簗瀬及び柳原のところで解説したように、柳谷もエゾ語のヤプ ナィ(陸に上がる、荷を揚げる 川)に由来する。陸に上がる、荷を揚げる川の谷の意であると思われる。浮池に浮かせた材木は、この柳谷を下った。また、杣の人や生活に必要な荷物がこの谷川から上がったと思われる。 |
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下三谷 薦生(こもお) 家野 |
伊賀地方のエゾ語系地名 4 2005年1月29日(土)掲載 ▲トップ
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八幡(やばた) 八幡は名張川中流の右岸の丘陵地で、支流の小波田川の左岸にかけて位置する。薦生の南隣である。 地内には古墳がある。 八幡の地名については、地内にある八幡社の名にちなむとする。 なお、八幡と書いて、やばたと呼んでいるのはなぜだろうか。隣接の薦生や田原は川沿いの沖積平地であるのに対し、この八幡は丘陵地であることから、古くは山畠(やばた)ではなかったか。それが八幡社の八幡と表記されるようになったが、山畠の呼称は変わらずに残ったのであろう。 地内には、塚穴山と塩塚の地名がある。塚穴山は八幡と薦生の境にあり、2基の横穴式古墳がある。塩塚は塚の名がついているが古墳ではなく、塩の商人がこの小高い所で塩を売っていたことによると、地元では言われている。 〔参考〕八幡社 正しくは八幡正八幡宮と言う。唐琴(からこと)社とも言う。昔、集落から西の川沿いにある八幡社の方から妙(たえ)なる唐琴の音が聞こえてきたので、社(やしろ)を唐琴社と呼ぶようになったと伝えられている。 |
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葛生(くずお) 鵜山(うやま) 田原 |
伊賀地方のエゾ語系地名 5 2005年2月5日(土)掲載 ▲トップ
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中村(美旗中村) 中村は名張川中流の右岸で、支流の小波田川の左岸の低地から南の丘陵地に位置する。 この地には、美旗古墳群の馬塚古墳がある。 この地は古代から名張郷の中村であったが、明治22年の美旗村をへて、昭和期の名張市が誕生した際に箕曲の中村と区別するために、美旗中村と改称した。 中村の地名は、名張郡と伊賀郡との間にあるので間の意味の中村の地名がつけられた、とされている。 ところで、この中村の地は小波田川の川沿いにあるので、エゾ語のナィ カ(川 上)に由来し、川に接する上の村の意の地名であると思われる。伊賀地方には、箕曲中村(名張市)、山田中村(伊賀市)、島ヶ原中村(伊賀市)があり、みな川沿いの地にある。 この地内には、高柳の小字名がある。高野はエゾ語のヤプ ナィ(荷を陸に上げる、上陸する 川)に由来し、高い荷上げする(上陸する)川の意の地名であると思われる。 |
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小波田(おばた) 小波田は、名張川の支流の小波田川の流域に位置する。ほとんどが台地で、小波田野と言われていた。 地内には古墳群がある。(美旗古墳群) 室町期に、観阿弥が地内の社で、猿楽の座を起こした。 江戸期には、小波田野の大規模な新田開発が行われた。(美旗新田) 小波田は小波多とも書いた。 小波田の地名については、小さい開墾地の意の小治田(おはりだ)が小波田に変化したとされている。 この地には、志ンヤシの地名がある。志ンヤシはエゾ語のシ ヤチ(大きい 湿地)に由来し、大きな湿地の意の地名であると思われる。 〔参考〕美旗古墳群 4世紀の終わり頃から6世紀にかけて造られたとみられる。前方後円墳5基、大型の方墳1基、及びそれらの培墳が多数ある。最も大きい古墳は馬塚で、全長142bもある。(伊賀で2番目の大きさ) 美旗新田 |
伊賀地方のエゾ語系地名 6 2005年2月12日(土)掲載 ▲トップ
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中村(箕曲中村) |
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瀬古口 青蓮寺 比奈知 |
伊賀地方のエゾ語系地名 7 2005年2月19日(土)掲載 ▲トップ
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滝之原 滝之原は、名張川支流の小波田川の上流の山間部に位置する。 古代から中世にかけて、伊勢神宮領の杣(そま)=材木を切り出す山=の地であった。 滝之原の地名については次の説がある。 (1)この地は山間部で、渓流に小さな滝が多いことによる。 (2)たけ(高い山)の原が、滝之原に転化した。 地区内の龍性院には、伊賀三大木の一つといわれる、幹回り3bの広葉杉(こうようざん)が威容を誇っている。 次のエゾ語系地名がある。堂々後(どどあと)はエゾ語のト ト(沼 沼)に由来し、沼のあとの地名であると思われる。 東狭間(とのはさま)はエゾ語のト(沼)に由来し、沼にはさまれた狭い土地の意味の地名であると思われる。 中野はエゾ語のナィ カ ムプ(川 上 野)に由来し、川に接する上の野の意味の地名であると思われる。 神屋 奈垣 |
伊賀地方のエゾ語系地名 8 2005年2月26日(土)掲載 ▲トップ
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布生 布生は、名張川の最上流域の山間部に位置する。 古代から中世にかけて、伊勢神宮領の杣(そま)の地であった。 この地には国見山がある。標高810bほどで、山頂からは伊賀の国のほか、伊勢の国と大和の国も見えるので、三国山とも呼ばれている。 布生の南隣の伊勢の太郎生には、大洞山がある。室生火山群の一つで、太郎生の御岳とも言われている。この大洞山への入り口にあたる。 布生の地名は、鎌倉期には布の布とも書いた。 地名の由来については分からないようだ。地元では、布を織って謙譲したことによるのではないかと言われている。 地内には雨知渓(あしだに)と言う渓谷があり、織戸川沿いに上がっていくと、中小の滝が20余もあり、地元の人でもあまり知られていない隠れた観光スポットである。 長瀬 中知山 |
伊賀地方のエゾ語系地名 9 2005年3月5日(土)掲載 ▲トップ
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黒田 黒田は名張川中流で、支流の宇陀川との合流付近に位置する。古代の庄は、もっと広域であったとされている。 平安期に銅鐸が出土したことが、文献に書かれている。 大化の改新後の律令制では、農地や農民は国のものとされた(公地公民制)。奈良期に墾田永年私財法が公布されて、開墾地を私有化することができるようになると、貴族や寺社は競って水田開発を行うようになった。その後まもなく、黒田の地は東大寺に施給された。こうして、東大寺による黒田の庄の開発が始まった。その後農民との紛争が起こり、東大寺は大屋戸の大江氏に取り締まりを依頼した。この頃から大江氏の勢力が強まった。その後東大寺から下司の役をやめさせられるが、まもなく悪党が出現することになる。 黒田の地名については次の説がある。 (一)小高い所を黒と言う。この黒に由来するとされている。 (二)田の畦を黒と言うが、この黒に由来し沼沿いの陸の意味ではなかろうか。 地内には茶臼山があり、また茶臼谷の地名もある。この茶臼は、エゾ語のチャシ(砦)に由来すると思われる。茶臼山に砦が造られていたのであろう。 |
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結場(けちば) 井出 安倍田(あべた) 矢川 |
伊賀地方のエゾ語系地名 10 2005年3月12日(土)掲載 ▲トップ
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上三谷
龍口上三谷は宇陀川の左岸で、滝川の左岸の山間部に位置する。 古代から周地郷の三谷であったが、明治22年に錦生村の三谷を経て、昭和29年から名張市の上三谷と改称された。 上三谷の地名は、この地が三つの谷の合わさった地であることによる。 地内の秋葉神社は火伏(ひぶせ)の神を祭り、正月は近在の人でにぎわう。 龍口は滝川の西の山間部に位置し、奈良県に接している。その奈良県側にも龍口がある。この地は名張市の南西端で、奈良県の龍穴(けつ)社へ行く入口にあたる。なお、大和の龍口には百地城跡がある。伊賀市の喰代にも百地氏が築いた百地城がある。 龍口の地名は、大和の龍穴社への入り口の地であることによるとされている。 丈六 相楽(さがら) 一ノ井 檀 |
伊賀地方のエゾ語系地名 11 2005年3月19日(土)掲載 ▲トップ
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星川 星川は、宇陀川支流の滝川の右岸の大地から山麓に位置する。 地内には古墳群がある。そのうちの一つは前方後円墳である(琴平古墳群)星川の奥には七ツ池があり、そのうちの大池には竜が住んでいたとの伝説がある。 星川の地名については、役行者が七重の段を築いて雨ごいを行った時、この地の上空を星が川のように流れたことによるとされている。 古墳群のある琴平の地名だが、エゾ語系でコッ ピラ(谷 崖)に由来し、谷の崖の意味の地名であると思われる。この地名の通り古墳は小さな谷間にあり、近くに崖がある。 柏原 柏原は宇陀川の支流の滝川の右岸で、竜神山の麓(ふもと)に位置する。 地内には縄文早期の遺跡があり、押型紋土器の破片が出土している。 竜神山には竜神が祭られている。隣の星川には七ツ池があり、その大池には竜が住むと伝えられている。昔はこの地で、雨ごいが行われていたようだ。 柏原の地名は、この地の一帯にカシワの樹が生い茂っていたことによるとされている。 ところで、柏原は竜神山の山麓にあることから、エゾ語のカシ パラ(上 広い)に由来し、上の広いの意味の地名であると思われる。 〔参考〕押型紋土器 押型紋土器は縄文土器よりも古い土器で、縄文早期(1万年前以降)の指標とされている土器である。伊賀地方では、島ヶ原、真泥(みどろ)からも出土している。 名張市の西隣の奈良県山添村には、大規模な縄文遺跡がある。名張川左岸の大川遺跡がそれで、縄文早期から晩期までの遺跡である。このほか、名張川右岸の鵜山(大和鵜山)には1万年前の遺跡があり、名張川左岸の広瀬(大和広瀬)にも8000年前の遺跡がある。特筆すべきは、この山添村の北野には縄文草創期(1万2000年前)の遺跡があり、シベリア地方で出土している石器と同じ石器が見つかっている。 長坂 |
伊賀地方のエゾ語系地名 12 2005年3月26日(土)掲載 ▲トップ
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南古山 |
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滝 妙楽地 勝地 北山 伊勢路 下川原 |
伊賀地方のエゾ語系地名 13 2005年4月2日(土)掲載 ▲トップ
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岡田 岡田は、木津川上流の山間部で、阿保谷の東端に位置する。下川原から南下してきた木津川は、この地の天狗岩に行く手を阻まれて右折し、西へ向きを変えて阿保谷を西へ流れる。 天狗岩は大きな岩で、昔、天狗が腰をおろしていたので天狗岩の名がつけられたと伝えられている。また、天狗岩の下は深い淵(ふち)になっていて、龍が住むと伝えられている。(龍ヶ淵) 地内には、縄文期から弥生期を経て古墳期までの遺跡がある。また古墳群もある。 岡田の地名は、集落が木津川の左岸の丘の上にあったことによるとされている。 地内に中山がある。江戸後期に本居宣長が吉野山を訪れた時、この中山でうたった和歌が『菅笠日記』に書かれている。現在はトンネルが掘られて、国道165号線が通っている。 この中山の地名は、エゾ語のナィ カ(川 上)に由来し、川に接する上、つまり川沿いの山の意味の地名であると思われる。 |
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寺脇 寺脇は、木津川上流の右岸に位置する。 この地の山麓から石器が出土している。縄文土器片も拾われている。また古墳もある。 今から700年ほど前、亀山天皇の勅願により宝願寺が建立されたが、その後、寺の脇に集落が形成された。 寺脇の地名は、宝厳寺の脇に集落が形成されたことによる。 地内の北側に大きな池がある。その周辺の地名を朝妻という。この朝妻は、エゾ語のア サッ トマ(アは接頭語 乾く 沼地)に由来し、乾く沼地の意味の地名であると思われる。 なお、朝妻の地に温泉がわいて、観光旅館が建てられている。(朝妻温泉) 柏尾 別府 |
伊賀地方のエゾ語系地名 14 2005年4月23日(土)掲載 ▲トップ
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阿保 阿保は木津川上流に位置する。 地内には、弥生期の遺跡や古墳期から鎌倉期にかけての遺跡もある。南側の台地には古墳群がある。(7つ塚古墳群)また、宮内庁が管理する御陵がある。(垂仁天皇の皇子の阿保親王の墓とされている)延喜式内社の大村社がある。ここには平安期からの要石が祭られていて、地震の災難除けの社として知られている。 この地は上古から、大和と伊勢とを結ぶ交通の要所で、古代には頓宮が置かれていて天皇や皇族等が宿泊した。江戸後期には、お伊勢参りの旅の客で阿保の宿場が賑わった。 阿保の地名については、次の説がある。 (一)この地に阿保の臣が居住していたことにちなむ。 (二)粟を栽培していたので粟生と言っていたが、後に阿保に転化した。 (三)崖の意のあぶが、阿保に転化した。 |
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ところで、この阿保は木津川沿いの沖積平地で、東隣の別府や柏生より低い地である。そこで、エゾがこの地をア ポク(アは接頭語 下)と名付けた。下の意味の地名であると思われる。 羽根 |
伊賀地方のエゾ語系地名 15 2005年4月30日(土)掲載 ▲トップ
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種生 種生は伊賀地方の南部で、木津川支流の前深瀬川の中流域に位置する。 この地には縄文早期の遺跡がある。弥生期の遺跡もある。 地内の国見山の麓に草蕎寺という寺があったが、天正伊賀の乱の折、焼失した。この寺は浄土真宗の七堂伽藍の大きな寺で、室町期に吉田兼好(徒然草の作者)が晩年を過ごしたと伝えられていて、兼好塚がある。 種生の地名については次の説がある。 (一)谷に山裾の意味の尾がついた谷尾が種生に変化した。 (二)前深P川と川上川との間の盛り上がった棚の状態にあるところから、棚生が種生に転化した。 地内には、矢知及び小河内のエゾ語系地名がある。 矢知はエゾ語のヤチ(温地・泥地)に由来し、温地、泥地の意味の地名であると思われる。 小河内は、エゾ語のポン コッ(小さい 谷)の意味の地名であると思われる。東京都の水かめである小河内ダムなど、小河内の地名は日本の各地にある。 |
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高尾 高尾は伊賀地方の南部、木津川支流の前深P川の最上流部で、尼ヶ岳北麓の山間部に位置する。 この地には、縄文期から弥生期にかけての遺跡がある。遺跡があることは昔から知られていたが、メナード青山リゾートの開発に先だって遺跡調査が行われた結果、複合遺跡であることが確認された。 上古から大和と伊勢とを結ぶ交通の要所で、伊勢の矢知に至る桜峠たある。中世から江戸期にかけては矢知街道の名で旅人に利用されたなど、この高尾から滝之原を通り名張に至る道もあった。 この地は、古代から中世にかけて、伊勢神宮領の杣の地であった。(馬背の杣) 高尾の地名は、高い山(尼ヶ岳)の山裾にあることによるとされている。 地内に古田の地名がある。戦後、開拓団が入植したが、メナード青山リゾートの開発で、開拓団は解消した。古田の地名はエゾ語のフル(小山)に由来し、小山の地の意味の地名であると思われる。 老川 川上 霧生 奥鹿野 福川、衆木、腰山 |
伊賀地方のエゾ語系地名 16 2005年5月28日(土)掲載 ▲トップ
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神戸 |
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比土 上林 古郡 比自岐 摺見 岡波 |
伊賀地方のエゾ語系地名 17 2005年7月9日(土)掲載 ▲トップ
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才良 |
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依那具 郡 森寺 |
伊賀地方のエゾ語系地名 18 2005年7月23日(土)掲載 ▲トップ
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猪田 |
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山出 上之庄 大内 法花 |
伊賀地方のエゾ語系地名 19 2005年8月13日(土)掲載 ▲トップ
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安場 |
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菖蒲池 古山界外 鍛冶屋 湯屋谷 東谷 |
伊賀地方のエゾ語系地名 20 2005年9月24日(土)掲載 ▲トップ
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予野 |
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大滝(おおだい) 治田(はった) 白樫 |
伊賀地方のエゾ語系地名 21 2005年10月22日(土)掲載 ▲トップ
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長田 |
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大野木 木興 小田 |
伊賀地方のエゾ語系地名 22 2005年11月5日(土)掲載 ▲トップ
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上野 |
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四十九 麻宇田 |
伊賀地方のエゾ語系地名 23 2005年11月26日(土)掲載 ▲トップ
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阿波 |
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富永 奥馬野、中馬野 坂下 広瀬 川北 |
伊賀地方のエゾ語系地名 24 2005年12月3日(土)掲載 ▲トップ
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中村 |
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甲野 炊 平田 畑村 千戸 |
伊賀地方のエゾ語系地名 25 2005年12月日(土)掲載 ▲トップ
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真泥 |
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出後 高山 喰代 蓮池 友生 |
伊賀地方のエゾ語系地名 26 2006年1月14日(土)掲載 ▲トップ
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柘植 |
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上村 楯岡 新堂 柏野は柘植川中流の右岸(北側)で、水口丘陵の南端に位置する。新堂の西隣にある。 |
伊賀地方のエゾ語系地名 27 2006年1月28日(土)掲載 ▲トップ
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山畑 |
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川東 川西 御代 〔参考〕天然記念物 |
伊賀地方のエゾ語系地名 28 2006年3月13日(土)掲載 ▲トップ
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内保 |
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槇山 湯舟 小杉 鞆田 〈参考〉異型局所磨製石器、土偶 |
伊賀地方のエゾ語系地名 29 2006年4月8日(土)掲載 ▲トップ
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馬場 |
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千貝 馬田 田中 川合 円徳院 |
伊賀地方のエゾ語系地名 30 2006年4月15日(土)掲載 ▲トップ
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波敷野 |
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坂之下 東条と西条 土橋 山神 〈参考〉三角縁神獣鏡 |
伊賀地方のエゾ語系地名 31 2006年4月29日(土)掲載 ▲トップ
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佐那具 |
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印代 一之宮 |
伊賀地方のエゾ語系地名 32 2006年5月20日(土)掲載 ▲トップ |
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寺田 高畑 羽根 服部 荒木 西明寺 |
伊賀地方のエゾ語系地名 33 2006年6月17日(土)掲載 ▲トップ |
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三田 大谷 野間 諏訪 音羽 |
伊賀地方のエゾ語系地名 34 2006年7月1日(土)掲載 ▲トップ |
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高倉 西山 岩倉 |
伊賀地方のエゾ語系地名 35(最終回) 2006年7月22日(土)掲載 ▲トップ |
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島ヶ原 (参考文献)
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