▼ぴーぷるステーション【NO.38】

名青剣道協会長・村雲源太郎さん(83)

■自然体守り今も現役
 名張市スポーツ少年団の創設直後から団の育成に貢献のあった指導者5人がこのほど開かれた40周年記念式典で表彰された。その1人、同市大屋戸の村雲源太郎さん(83)は「終戦後、柔剣道が廃止され、復活したのは1953(昭和28)年でした。最初は名張署の道場や小学校の講堂で練習を重ねたが、実力は県内でもトップクラスだった」と振り返る。
 旧名賀農学校(現在の名張高校)の19期生。剣道は小学校からやり、農学校3年のとき亀井利克市長の叔父・利郎さん(故人)とともに開校以来初の有段者になった。敗戦時、ミャンマー(旧ビルマ)に抑留され、2年後に復員。名張市内の小学校で教壇に立った。「少年団の発足時はクラブ数も4つか5つ。それが市の柔剣道場ができたころからクラブ数も増えた。剣道クラブのメンバーは浮き沈みもあるが、最盛期には道場からあふれるほどでしたね。今でも40〜50人はいるでしょうか」。毎週土、日曜日の練習にも顔を出しており、話しぶりからも年齢を感じさせない。
 名青剣道協会長を約10年務めており、錬士の資格を持つ。「30年ほど前に県体で優勝した思い出は忘れません。子どもらには常に自然体で、試合には『無心』で臨むよう教えている。晴耕雨読の毎日ですが、健康なかぎり続けたい」と、まだまだ゛現役の心意気。

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