▼ひと【NO.12】
名張シンクスの連絡責任代表、山下多紀夫さん

■活動の拠点は旧町
 「人生の目標は持ちません。昔は持っていたかもしれませんが、元来、計画を立てるたちではないし、時代の流れに逆らったことはできないと思っています」とは、名張市中心市街地活性化町づくりグループ・名張シンクスの連絡責任代表の山下多紀夫さん(56)。
 7年前から始めた「伊賀の手づくり作家展」の成功について「きっと時流に乗っていたのでしょう。旗を振ればみんなが喜んでやってくれて、成功する。旗を振っても動かないというのは、時代の流れにあっていないということ」と自身の哲学を。
 大阪、天王寺生まれ。15年前に丸栄建

設に就職、名張に住み始めた。 それまでは、東京や横浜でフリーターのように、いろんな仕事をやってきた。カメラマンをしたこともあったが、「(カメラマンの経験は)伏せてあります。手づくり作家展では、裏方に徹すると決めたので、作品を出したい気持ちは抑えている」。「関東ではよく遊びました。モトクロスに熱中したこともあって、バイクの雑誌やTVにも載ったこともあります」と多才。
 現在は丸栄建設を退職し、名張シンクスの活動に尽力。
 旧町活性化について、「市役所が旧町内にあった当時は、買い物をするためだけでなく、情報収集の場所でもあり、いろんな面で市の中心だった。しかし、今は、隣近所の用を足すだけの場所になってしまっている。人を呼び戻すには、これからの旧町の役割を明確にすることが重要。ふるさとを持たない新興住宅地の住民も定年退職を向えた人が増えてきた。そこで、市民活動の拠点として寄って立つ場所になるのは、旧町しかないと思う」と。
 また、「怪人二十面相もいいが、世界的に認められている観阿弥を前面に押し出せばいいのに…。観阿弥に関するエピソードはたくさんあり、立派な観光資源」と、文化や伝統を知って、見直していくことの重要性を。「何より、他府県からきた友人たちを、観光として上野や伊勢に連れていくのは違うんじゃないか」と思っている。
 「しかし、アイデアを出しても生返事なことも多い。旗を振っても動かないということは、時流にあっていないのではないかと思う」。文化だけでなく福祉やスポーツなど、いろいろな切り口がある中で、一緒に考えていきたいと語った。
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