▼ひと【NO.11】
夢と技の伝承 カーペンター 代表 田鍋鉄弥さん

■こどものこと話そう「地域に学ぶ」
 「地域と学ぶ」というと、何か新しいことを考えたり、企画したり、新しい制度を創るように思われますが、決して新しい発想ではありません。つい50年前には当たり前に、子供達と地域が意識せずに交わっていたのです。そこには、こどもの学ぶ場所や体験する場所、参加する場所があります。今、「こどもたちから失われたもの」は、こどもと地域とのコミュニケーションであり、温かい身近な人々との対話だと考えます。
  我々の子供の頃を振り返ってみると、身近に、近所のおじさんやおばさんがいて、よいことをしたときにも悪いことをしたときに、誉めてくれたり、思い切り叱られたり、時には棒を持って追っかけられたりした。時には近所のおばさんがスイカを切ったら遊んでいるこどもたちに食べさせてくれたり、餅を焼いたといっては、餅をよばれたりと言うことが、貧しい生活の中にも日常の生活の中にあった。
  日曜日になるとおばあちゃんと近くのお寺に行き、お坊さんのお説教を聞いて、命の尊さとか、道徳的な教え受けたものです。物事の判断を決める時にお坊さんの教えが働き、常に正しい道を歩むように、こどもながらに理解し、行動してきました。遊ぶときにも、まわりにあるものが、みんなおもちゃになり、遊び道具になった。
  そして、ポケットには何時もナイフが入っていた。ナイフは遊び道具を作るための道具であり、おもちゃを作りながらナイフで何度も手を切った。この痛みを肌で感じて、決して人にナイフをむけることをしないという暗黙の約束が出来ていったのです。今ポケットにナイフが入っていたら、銃刀法違反で逮捕されるだろう。
  今のこどもたちはゲームに明け暮れ、携帯電話やパソコンといった命の通わないものと生活している。50年前には、地域文化に触れる機会も多くありました。代表的なものは、地域の社寺の祭りです。ミコシをかついだり、太鼓をたたいたり、直接参加しなくても祭りの中に何時も溶け込んでいた。常に地域の中で遊び学び、それがこどもたちの心身を鍛えてきました。
  今の社会はこのように命を感じる学びの場所も遊びの場も失われています。こどもたちは頭だけは大人顔負けの発達をしているが、心はまだ幼く育っていない。心身のバランスが崩れているのが現代の子供たちではないだろうか。
  今我々が取り組んでいこうとしていることは、「ものづくり」を通じて命の通う環境を創っていきたいと考えています。今、色々な試みがなされていますが、その場限りのものづくりであったり、遊びではなく継続して、人と人の交わりを大切にしながら育む地域文化です。こどもたちが自ら参加して創り上げて行く文化。そこに感激のドラマと地域の中に自分の存在感を見出して、心身の健全な育成につながって行きます。
  今、子供たちに大切なことは目先の事や小手先で考えるものではないと考えています。「こどもたちから失われたもの」を取り戻すためには多くを考えず、自然体で物事を考えて行くことが求められていると思います。手づくりの文化をこどもと地域が、親と子が一緒になって創り上げて、社会に求められているという実感をこどもたちが体験できる場と環境を創ることが正常な社会を取り戻して行くものと考えます。


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