■いつもカメラは必携
名張の写真クラブの老舗ともいえる「写友会」で活躍している符阪晃さん(78、桔梗が丘2)は、近鉄に勤める父の元、潤沢な子ども時代を大阪で過ごした。戦争勃発、中学生で配給の米が、麦やじゃがいもになり…戦争末期には「栄養失調で走ることもできなくなった」と言う。
英語を学習したいと大阪外語瀬門学校(現在の大阪外語大学)の英米科に通ったが、学生動員で工場に。作業に出掛けている間に、学校は図書室を残して燃えてしまった。そして、終戦。友達と学校の様子を見に行った時、来ていた米国人に英語で尋ねられ、返事が返せた人だけが、米軍キャンプに連行。
|