▼ひと【NO.9】
伊賀市副市長を今年で引退       権蛇英明さん

■大きい名阪道の完成
 副市長2人体制をとっている伊賀市で、6年半務めた先任の権蛇(ごんじゃ)英明副市長は、伊賀市が軌道に乗ったとして、今年限りの引退を表明した。三重県伊賀県民局長だった同氏は、平成13年、上野市出身だったことから今岡上野市長から要請され、上野市助役に就任した。
  「伊賀市を創(つく)るつもりで三重県を退職し上野市に移った。市では三重県時代とは異なり、直接住民に接することから、新しい緊張感をもって執務した」と。
  地元出身であることから、伊賀市勤務に戸惑いはなかった。県では財政課長を務めた。それまでの財政課長は、自治省出向者のポストだったが、北川知事の地方分権化の一環として就任した。
  「本省出身者でなかったが、交付税や補助金が減額されることもなかった。減額されれば北川知事は黙っていなかっただろう。知事の推進する職員の意識改革が伊賀市に来て役立った。伊賀市では議会対策に奔走する必要がなかった。三重県時代は、議会会派や議員に政策の理解と協力(根回し)を求めたこともあったが、伊賀市では全員懇談会での説明で納得してもらえた。これは、議会基本条例が出来る前からだ」と話す。
  伊賀地域は、昔は貧しかった。「私が三重県に就職した昭和41年、研修会があったが、伊賀の税収は1番少なかった。北勢、中勢は別として、伊勢志摩は観光地、紀州は木材や漁業があり、活況を呈していたが、伊賀には何もなかった。しかし、名阪が開通してから様子が変わった。工場が進出し、名張には団地が造られ、税収は3位になった。交通アクセスの効果は大きい。伊賀市の財政は今後も安定すると思う。名張市は団地が高齢化し若者は都会へ出て行く。余分なことだが、名張市も就業の場を積極的に創る必要があるだろう」とも。就任後は、伊賀市合併と松尾芭蕉誕生360年祭が大きな仕事だったが、無事終えたことに喜びを感じている。
  「副市長が2人もいることは行政改革の流れにそぐわない。12月議会が終われば退任させていただく」と淡々と語る姿は満足感の表情。伊賀市久米町の出身だが、妻の実家のある松阪市(旧三雲町)に居を構えている。

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