▼ひと【NO.2】
田中監督に魅せられ  〜的場敏訓さん

■名張の「送る会」世話人
 名張産業振興センター・アスピアで2月16日に開かれた「田中徳三さんを名張で送る会」の世話人。的場敏訓さん(百合が丘東)は一昨年、名張市内で行われた「田中徳三映画祭」の実行委員長も務めていた。
 田中監督は、昨年12月3日に体調を崩し、奈良県立医科大学病院に入院、20日に息を引き取った。亡くなる前の11月2、3日、旧町で催された名張街道市と20日に行われた大阪の試写会で、元気な姿を見ていたという的場さんは、あまりな急逝に、現実味がわかないと言う。
 田中監督の代表作でもある「悪名」の大ファンだった的場さんが、田中監督に出会ったのは、約10年前。的場さんの思いに田中監督は、とても喜んでくれたという。
 田中監督の年齢は、的場さんの年齢のほぼ2倍の87歳。的場さんは、「こんなに年が離れていても、本音で話をさせてもらったのに、一度も気まずい思いをしたことがない。先生の器量の大きさと人間性のおかげだと、ありがたく思っています」と、振り返る。
 「悪名」(1961年大映京都製作・勝新太郎主演)について、的場さんは、「血が出ないヤクザ映画。演出が冴えていて、美術の工夫があり、情緒のある素晴らしい映画」と、絶賛する。「送る会」に参列したファンや親交のあった人たちも、「田中監督の死は、映画界の人たちだけでなく、名張市、三重県の痛手」と話し、詰め掛けた報道各社の取材を受けた。
 「これからも地方の映画文化を広めるために、我われはなんとか頑張っていくつもりです。自分たちがこれからやっていけることは、先生の残した作品をできるだけたくさんの方々に見て楽しんでもらうこと。具体的には、まだ、何も決まっていないが、ぜひ、市にも援助していただいて、市民、市ぐるみでやれたらいいなと思っている」と語った。

 

 


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