▼ひと【NO.9】
「梅田正弘さんの遺作陶展」  〜梅田正弘さん

■故人偲び伊賀で初個展
桔梗が丘在住で通商産業大臣認定の伊賀焼「伝統工芸士」、梅田正弘さん(享年69歳)が亡くなって2年。1日から7日まで、名張市新田の堤側庵ギャラリー(中内組紐工房)で「梅田正弘遺作陶展〜土・彩・炎とせめぎ合ってここに」が開かれている。
梅田さんは、大阪市に生まれ、大手電気メーカーのデザインに10年間携わった後、独立。大阪市内でデザイン事務所を構え、カタログやポスターなどのデザインを手掛けていた。しかし、その間に出会った陶芸の魅力の虜になり、79年に名張市に転居。「桔梗窯」を設立し、以来、陶芸一筋の人生を歩んだ。
今回の遺作展が地元での初個展。展示された約150点の作品は、伊賀焼らしい風合いの作品だけでなく、得意のグラフィック調のデザインが施された皿や壷、フクロウをモチーフにしたオブジェや陶板など、バラエティーに富んでいる。堤側庵のオーナー中内中さんは、「今回展示した作品は、梅田先生の足跡です。先生の飽くなき探求心を見ていただきたくて、あえて多彩に、いろいろなものを選びました」。梅田さんは、何か一つに固執する芸術家タイプではなく、チャレンジ精神旺盛。オールマイティーで、できる陶芸家として貴重な存在だった。
中内さんは、「何でも一人でこなせてしまう。すごい人だった。しかし以前、何か一つのことをつきつめてみてはどうかという話をしたこともあります。でも、梅田先生はそうはしなかった。きっと、いろいろなことをやってみたいという探求心の他に、人に教えなくてはならないという責任感があったと思う」と話す。 
梅田さんの活動は、作陶以外にも、大阪府の老人大学陶芸科や地元公民館の陶芸教室講師や陶芸入門の執筆、ボランティア活動など、多岐にわたり、80年には当時の皇太子殿下・妃殿下(現天皇・皇后両陛下)に陶芸の解説を担当したこともあった。また87年、通産省伝統的工芸品産業功労者表彰も受賞。
しかし、2000年に脳出血で倒れ、左半身にマヒが残った。その後、陶芸によるリハビリ本の執筆に意欲を注いだが、06年12月に急逝した。中内さんは、「自分は、梅田先生が高校生の時代からの付き合い。兄貴のような存在でした。自宅を訪れては何時間も夢みたいな話をしていたことを思い出します」と振り返る。堤側庵ギャラリーの開設も、「地方から文化を発信する場にしてはどうか」との梅田さんの勧めがあったからという。「人徳というのでしょう。梅田先生がいたからこそできたイベントやサークルなどたくさんあった」。
梅田さんの作品の一番のファンであった妻の紀子さんは、「こちらで個展を開くことは、主人と中内さんの生前からの約束だった。主人が一番喜んでいると思う。来場いただいたみなさんに主人の作品や思いを見ていただいて、3回忌の良い供養になりました」と話していた。

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