▼ひと【NO.5】
ハナショウブ育て20年 鈴木幹子さん

■「花いかだ」への思い
毎年6月になると、旧市街地に流れる城下川にハナショウブがいけられた「花いかだ」が浮かび、行き交う人の目を楽しませている。20年前、「名張の川を守る会」(現 川の会・名張)会員たちが、どうやって名張の川をきれいにするか―を考えたのが発端だった。
同会会員で、当初から花いかだ用のハナショウブを育てている鈴木幹子さん(80、下比奈知)は、「名張の町の中には、ひやわいがあったり、乱歩があったり…情緒のある町並み。この名張の水路に花を生けたらゆかしいなということになって、20年前、主人が水に浮くいかだを作ってみた」。その夫・健一さんは平成10年に他界したが、いかだはその後、改良を重ねられ、今に至っている。20年の間には、ショウブが全滅したり、大雨で延期を余儀なくされたこともあった。しかし、幹子さんは「気持ちがゆらいだことは一度もなかった」という。
「やり始めた頃は、通りすがりに『そんなことをして何になる』と言って、たばこを投げ捨てる人がいたり…腹わたの煮え繰り返る思いをいっぱいした」という。現在、川の会のメンバーは20人弱だが、「利益を追求するのではなく、私みたいな(気持ちの)熱い熱い人ばかりが集まった会。だから人数もそんなにいない。中でも1番激しいのは私やな」と。しかし、80歳になり、激しい気持ちをぶつけるものではないと感じてきている。また、多種多様な考え方の人たちに輪を広げ、啓蒙活動をする意義も感じている。
子どもの頃から、川は大好き。60歳代にはカヌーでの急流下りに凝っていた。昔、アユ釣りでも、願かけたように行ってた時があった。性格が一直線な凝り性。姑さんに「今日は行かんといてくれ」と言われても、「川が待ってるから」と振り切って…。川は本当に好きで、あちこちに行った。中でも最高だったのは宮川、四万十川。「でも、帰ってきて名張川を見てがっかりした」。以来、さらに名張の川を守る決意を固めた。
昨年9月には、自宅を開放して川のシンポジウムを開いた。ダム関係者、淀川水系関係者も集った。お酒が好きで、仲間と飲みながら食べながら語り合った。「今は、足腰とか体の痛いところが増えて川に行けなくなったから、せめて夢の中でも…と思っているけど、それがなかなか見れへん」。
今年は、花いかだを始めて20年の節目。来月、川の会から表彰を受けることが決まっているが、「20年間、環境美化のために一役かったつもりでいたけど、城下川は裏町だから、知らない人も多いのが現状。でも、活動するには、自分一人ががんばったってあかんと思ってはいけない」と語る。「大きなことを言うつもりはないが、命の続く限り川を守る運動は続けていきたい」。

    
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