▼ひと【NO.3】
料理研究科  坂本廣子さん

■体感教育を食育に
 「台所は社会の縮図」として、さまざまな生活者の立場からの料理作りを目指す料理研究家の坂本廣子さん。幼児期からの食育の重要性を30年以上前から提唱し、1991年4月から放送された幼児・小学生向け料理番組の先駆けであるNHK教育テレビ「ひとりでできるもん」を監修。小さな子どもが、実際に包丁を手にして料理を行うというテレビ番組は、当時としては画期的なものだった。
1995年の阪神淡路大震災では、激震地だった神戸市東灘区で被災した。現在はその経験を生かし、「台所からの頑張らない防災」を提唱、普及に尽力の毎日だ。他にも全国各地で地域おこしを目指した特産物の開発にも携わるなど幅広い分野で活躍中。
11日、名張保健センターを訪れ、震災の時のさまざまな実体験を、テレビドラマと比較しておもしろおかしく講演。そして、「あの時、何センチという差で無事生き残ったという人もたくさんいて、生きるか死ぬかが、本当に紙一重だった。神戸の人たちはあの時、何を一番思ったかといえば、今を充実して生きるということが、ちゃんとした死に方につながるんやなと思ったんです。あの日から神戸の人は変わりました」と振り返る。
被災時、坂本さんの住んでいた東灘区の避難所は狭く、「住民の大半が被災することなど想定されていない」と実感したという。結局、避難所に入れたのは住民の約0.1パーセントだった。その他の人たちは、知り合いをたよって、街から出て行かざるをえなかった。そして数年経ち、東灘区の人口が震災前に戻りましたと報道された。
「あれは頭蓋骨の数が増えたというだけの話なんです。もといた住民が戻ってきて、震災前の生活ができるようになったということではないんです」。それは、大阪への通勤が便利な土地として、新しい住民がたくさん入ってきたということだった。気が付けば、元もとあったはずの地域の文化や特徴は消え、「私たちは気がつかないうちに失ってしまった。これで地域が戻ったっていえるの?とすごく思いました。もうどう頑張ったって取り戻すことはできない」と悔やんだ。地域に住民が定着し、文化を残していくためには、「ふるさとを次の世代にちゃんと渡していくことが一番大事。でないと、私たちのようにあっという間に消えてなくなります。私たちは本当にたくさんの人の命を失ったけれど、文化の命も気が付かないうちに失ってしまった」。
中でも食文化について、近年、農林水産省が郷土料理を残す働きかけをしているが、「いくらエイエイオーゆうて農林水産省が掛け声かけてもだめです。自分が小さい時から食べてるから懐かしくておいしいと思うもの。見たことも食べたこともないものは伝承できない。要は体験が大事なんです。本で読んでも、言葉でいくら言っても残らない」と熱く語る。
また「子どもたちに伝えるには良い、体験を渡してほしい。その体験の積み重ねから、子どもは自分が素晴らしいという実感が得られ、自信を持って育つ。そうすると、将来いろんなことが超えていけるようになる」という。
坂本さんは、ハンズオン(体感)教育を食育の分野から指導。「食」で本物の体験を子どもたちに残していくということはとても大事なことという理念から、自身が主宰するキッチンスタジオでは、幼児にも包丁を持たせている。「それが食育」だという。
「アイデンティティーは、自分のふるさとを確定していかないと、人間って安定して生きていけない。根元に自分のふるさとがないとダメなんです。そのふるさとを子どもたちにきっちりと体験させ、渡していってもらうということが今一番必要だと思っている。それができるのが食育。みんなが幸せに生き、命をまっとうするときに幸せだったなと思える地域づくりは自分たちのもっている宝物を次の世代にきちんと体験させることから始まると思います」。

   
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