▼ひと【NO.4】
有機農業家として活躍中  羽鹿秀仁さん

■農業で社会が変わる
 農業をするために大阪から赤目に。まったくの素人の状態から始め、有機農業家として5年目を迎えたのは羽鹿秀仁さん(安部田、47)。異色の経歴で、全国各地に講演に行くなど活躍中だ。
 羽鹿さんは、大学卒業後、経営コンサルタントとして大阪で仕事をしていたが、1997年から青年海外協力隊に入り、ニカラグアに2年、パナマに3年間滞在。帰国後は、NPOネットワーク「地球村」の仕事で、アフガニスタンの支援に5年間かかわってきた。「トータル10年ぐらいは海外でいましたが、そこでは、ずっと経済分野の仕事を担っていました」と話す。
 経済から農業への転身について、「現地でいると、食糧を作るということが、ものすごく大切なことだと感じた」と。もう一つの大きなきっかけとなったのが、ハリケーンの復興に携わったこと。そこで、「こういう形の支援ではキリがない。発展途上国が支援されなくても自分たちでできるようでなくてはいけない。もっと違うことをしなくてはいけないと思いました」と当時を振り返る。
 そんな中、帰国。日本の生活をみると、現地とはまったくかけはなれた豊かな生活を送っている。「日本の食糧自給率は本当に低いのに食べきれない食料を捨てたり、むだなエネルギーもたくさん使っている。地球規模で考えるとある意味、発展途上国を踏み台に先進国の豊かさがあるように思った」。そこで、「こんな先進国の生活を変えなくてはいけない。それには、まず自分が変わらなくてはいけないと思いました」と動機を語る。
 強い思いだけを持って、まったくの素人の状態から農業を始めたが、「いろんな人に協力していただいて、なんとか5年目が迎えられました。実際やってみて、ものを作るということのおもしろさと自分たちに何ができるんだろうということをデータではなく、体験から気づくことができるようになった」と、その`面白さaを話す。
 定期的に手伝いに来てくれるメンバーも増えた。昨年は、田植えだけで約100人。大阪を中心に関東からも。こうして、8反の田圃(たんぼ)を手作業で約3週間かけて行った。
 収穫米はインターネットを通じて販売しているが、「おかげさまで、順調に売れています。野菜って、足音を聞いて育つと言われたりして、やっぱり人の気持ちなんかを吸収して育つんじゃないかと思うのですが…うちのお米も100人の愛情とエネルギーが詰まっているからおいしいのかなと思っています」。
 現在の思いは、「たくさんの人が、農業に携わることで社会が変わっていってほしい」こと。「農業で生計をたてるということよりも、自分たちがすることによって、輪が広がり、さらに深まって、社会が変わる…というふうにもっていきたいなという夢があるので、いろんな人がかかわってくれることは本当にありがたいと思っています」。
 また「おのおのが、100%の自給はできなくても、あいた時間に草引きをするなど、農業の手伝いをしていろんな体験をする。そうすると、自分たちが食べることや身の周りの環境などに対する意識が変わってくるはずだ」と思っている。
 数年前の自分を振り返って「昔は頭でっかちだったなあと思います。いわば裁判官的で、これは良いとか、これは悪いとかを一方的に決めつけていたところがあったのですが、今は、両方の立場がわかるようになった。いろいろな気づきが本当におもしろい」という。
 今後の目標は、「農業は、お金をかせぐというところに集中してしまうと採算があわない…ということになるんだと思うのですが、お金以外の喜びに焦点をあて、生産者と消費者の距離を近づけるような形や場を作っていきたい」と抱負を語る。
  新婚ホヤホヤの羽鹿さん、「今年は、子どももほしいと思っています」。

    
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