▼ひと【NO.1】
名張少女に魅せられ「名張少女慕情」  滝永花子さん

■地元の歌作り元気発信”
「梅の香ただよう里の月 影もおぼろな十六夜の 渓の瀬音と三味の音と 運命の糸で結ばれし 名張少女のいとしさよ…」。情緒的な歌詞と演歌調の曲をご存じだろうか。
明治の自然主義派の小説家、田山花袋の作品「名張少女(おとめ)」に魅せられて、平成7年に「名張少女慕情」を作詞作曲したのは滝永花子さん(84)。
知人の川上弘子さん(富貴ケ丘)が小説「名張少女」を現代語に訳した復刻版を発行したのをきっかけに制作意欲が高まり、できた作品だ。
「当時、松阪に住んでいる歌手の卵の女の子がいて、その子のデビュー曲として日本クラウンでレコーディングされました。その後、今、習いにいっているカラオケの小野田隆則先生夫妻がレコーディングしてくれて、全部で1000本ほど音楽テープを作りました」という。
名張市内の小学校教師だった滝永さんは、昭和45年に退職。その後は、家業の手伝いが中心の生活。「当時のことですから、何でも売っているお店だったので、私の仕事は、もっぱら配達に行くことだったんです。それで配達をしながら、その時、目に見えたものとか考えていたことなんかの作詞作曲を楽しんでいました」と振り返る。
発売したテープは、表面が「名張少女慕情」、裏面が「すずらん台賛歌」。この「すずらん台賛歌」しばらくの間、すずらん台小学校の運動会の全校体操で使われていた。「その頃は、すずらん台がゴルフ場問題なんかでもめてたんです。そんな時、単車ですずらん台の中を牛乳やお酒などの配達しながら、ちょっとでも地元が元気になって発展するようにと思って作った曲でした」。
滝永さんはその他にも、「滝之原音頭」の作詞作曲でも受賞経験がある。「いつも地元の歌を作って、歌って、みんなに元気になってもらいたいという気持ちでいましたね」。
現在は、特別養護老人ホームグリーントピア名張(東田原)で隠居生活を送り、月2回のカラオケと詩吟が楽しみ。カラオケも詩吟も若いころからたしなみ、詩吟は師範の資格をもつ。
「子どもの頃から歌が好きで、教室でよく歌っていました。戦時中でしたし、きびしい時代でした。いい気分でその当時の歌謡曲を歌っているところを見つかって先生にひどく怒られたこともありましたね。教室の後ろにずっと立たされてて、男の子たちにからかわれて恥ずかしかった思い出もあります」と顔から笑みがこぼれ、「私もそろそろいい年です。田山花袋の名張少女と共に、もう一度、名張少女慕情も思い出してもらえれば…」と話した。

   
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