▼ひと【NO.4】
スポーツ振興に貢献  梶田淑子さん

■親子2代で受賞
文部科学大臣からスポーツの普及振興に尽力したとして表彰された梶田淑子さんは、名張市スポーツ少年団本部長で青少年スポーツ振興と少年の中国交流に取り組んでいる現職。昭和25年、名張第1ボーイスカウトを結成、ボーイスカウトにスポーツを取り入れた。スポーツは高校時代、陸上競技やバスケット選手として活躍。その後、体育関係や青少年活動に多くの功績を残した。
文部大臣表彰は、梶田家にとって2人目。長男の正人氏が先輩になる。正人氏はチベットの未踏峰ナムチャバハワを世界で初めて征服し平成4年、当時の鳩山邦夫文部大臣から表彰された。が、平成21年、南アルプスで遭難して死亡。
丸紅の商社マンから脱サラ、中国の上海で独立して会社を経営していた正人氏。一時帰国して両親に、「名張の自宅を建て替える資金を出す」と約束。「当時、中国に戻るのだと思っていたが、訃報が入り驚いた」と父親である夫君の梶田重雄氏は落胆した。
梶田淑子氏は名張市議会議員として悲しみも見せず活躍していたが、平成22年引退。そんな矢先の朗報た。
現在も、スポーツ少年団やボーイスカウトの指導者として活躍。市議会は卒業したが、往年の婦人会活動の人脈、キャリアから三重県地域婦人団体連絡協議会に参加、副会長に就任。東北大震災の支援活動を機に、婦人会活動の必要性が認識され、「新しいタイプの婦人会を名張市でも結成したい」と張り切っている。
「聖路加病院の日野原会長は、100歳でなお、かくしゃくとしておられる。私も生涯現役で頑張りたい」と話し、週2回、リズム体操を教え、衰えを見せない。

   
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