▼ひと【NO.4】
写真コンテストで3年連続快挙 川地清広さん

■斬新で高い技術認められ
明治10年に創業した(有)写真の川地の5代目で代表取締役の川地清広さんが今年も富士フィルム営業写真コンテストで入賞した。応募作品11157点、応募人数3458人の中、銅賞を受賞。3年連続受賞の快挙。
作品のタイトルは「Happy Friend」。結婚式場「桔梗が丘ヴェルージュ」の写真で、木目調の鏡の前に立つウエディングドレスの新婦を、淡い水色のドレスのブライズメイドたちがピンクのブーケを持って祝福している風景。抑えめで落ち着いた色調の中、真っ白なドレスに身を包んで幸せそうに笑う花嫁がライトアップされ、まるで印象派など西洋絵画を彷彿とさせるような作品になっている。
川地さんは今回の受賞で、同コンテストでは10回目の受賞となった。2010年には、金賞受賞で名実ともに日本一を獲得。また銀賞は2回、銅賞は6回。アルバム優秀賞も1回受賞している。「70歳になったので今年で応募は最後。ちょうど10回目の受賞、良かった。金、銀、銅、アルバム賞…とフルコースでトータル10回も受賞しているのは日本中探しても他にはいないですよ」と笑う。
昨年は、桔梗が丘中学校卒業アルバムの個人写真の中の1枚で銀賞を受賞した。卒アル個人写真での受賞は前例がないといい、従来のものとは一線を画した、動きのある作品だった。講評には「非常に斬新な写真。学校写真の新しい在り方を提案するような作品です。学校写真ですから、1人30秒ほどの短い時間でここまで持ってくるのは至難の業。作者の高い技術力が感じらる」と高い評価を得た。
市内各学校の卒業アルバム制作に長年従事してきた川地さんは、「昔ながらの卒アル個人写真って、カメラを三脚で固定し、子どもたちはみんな前を向いて、流れ作業のように撮るけど、ずっとこんな写真でいいのかな。嫌だなと思っていた」。
転機は2年前だった。がんを煩い、入院生活を余儀なくされた。そんな中、病室に持ち込んだカナダの写真家「カーシュ」の写真集を見てひらめいた。退院後、4日目に梅が丘幼稚園の卒アル個人写真の撮影が入っていたのを機に、その年の卒業生約1200人分変化を与えました。「やっぱりみんな圧倒的にこっちがいいと言ってくれる。変えるべきときには変えないと」と思った。
川地さんが始めた個人写真は、ひとりひとりの個性が際立つスナップ写真のよう。この技法は、今や日本中にブームを巻き起こしている。現在は、毎週のように講演に呼ばれて全国各地を飛び回る。6月は3週間で車で5000`移動した。「フェイスブックを見てくれている友達が、僕があまりにあちこち行っているので身体を心配してくれますが、体力も完全に戻っています」とパワフル。
病気をして「心技体」をより痛切に思うようになった。「心」は、写真、被写体に対する思い。「技」は、誰にもできない技術。「体」は、体力。それに元気な身体。自分自身の生き方でもあると思う。また、常に時代にあった新しいことを考えているともいう。
川地さんはこのほど、WPC(ワールドフォトグラフィックカップ)の国際審査員に選出された。日本代表選考の審査員は務めてきたが国際審査員は初めて。WPCは、世界各国代表の写真家たちが世界一の名誉をかけて戦う「写真における世界大会」。個人と国別に写真総合力を競うオリンピックスタイルのコンテストで来年2月、アジアでは初の日本・横浜での世界大会が決定。国際審査員は、24か国から各2人ずつ選ばれているが、英語でのインターネットで会議が苦手という。

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