2020年度 バックナンバー
菜の花畑を快走する特急

菜の花畑の中を黄色の近鉄特急が快走する。この光景は名張市矢川の近鉄線沿いの花畑で菜の花と特急のカラーが似ており絵になる。
沿線には市民カメラマンが数人待機し、この光景を特写しようと頑張っている。昨年までは美旗新田の菜の花畑に多くのカメラマンが集まったが、今年は菜種を栽培していない。そこで、今年はこの場所が人気スポットになった。


赤目自然歴史博物館が28日にオープン

赤目渓谷の自然と歴史を紹介
赤目滝入口の赤目ビジターセンター内に「赤目自然歴史博物館」が3月28日に開館される。自然と歴史についての博物館である。自然は赤目滝、赤目渓谷の自然に関することだと容易にわかる、しかし、歴史が付くと頭をひねる人やすぐに忍者を思い出す人もいるはず。歴史とは忍者のことであり、そのルーツである修験道、修験者のことである。
赤目滝の歴史を簡単に紹介すると江戸時代、明治の初めまでは赤目渓谷は一般人が行かないところだった。渓谷は修験道の行者が修行するところだった。行者は延壽院を宿坊として山に入り自然と対話して修行した。延壽院は天台宗の寺院であり、本山は最澄・伝教大師が開山した真言密教の天台宗比叡山延暦寺である。本山では「千日回峰行」というのがあり、修行僧は自然の中で寝食をして千日間修行する。
赤目渓谷は修験者の道場であり一般人は足をふみ入れないところだったが、幕末に名張藤堂家の家老で学者の鎌田簗洲が渓谷を検分し写生した絵と記録「観瀑図誌」を作成し刊行した。これにより、赤目滝の存在が一般に知られるようになり、観光名所として知られ、参宮急行(近鉄)の開通で観光地に発展していった。鎌田簗洲は香落渓谷も紹介している。
高虎が延壽院に寄進
赤目渓谷一帯は地元の寺院・延壽院の所有である。伊賀伊勢安濃津の藩主・藤堂高虎が延壽院に寄進した。
藩主・藤堂高虎は天台宗に帰依している。初期の徳川幕府では天台宗の東叡山上野寛永寺の管長とともにご意見番だった。藤堂家の墓所は天台宗上野寛永寺にある。この縁でか、高虎は天台宗の赤目延壽院に赤目滝の山林を寄進している。藩主が交代しても改めて寄進状を出しており、赤目滝一帯は現在も延壽院の所有になっている。観光施設の敷地も延壽院のものであり、大手観光業者も進出ができないとのことだ。
そして、高虎は観音堂を寄進し、中に歴代藩主の位牌が祀られている。位牌は西を向いている。徳川家康が久能山に埋葬されたとき、遺言で棺桶は座棺にして、家康は西を向けて座り、西国大名を監視しているようにしたのに似ている。
修験道と忍者
「忍者は九字に印を切る」とされている。これは真言密教の作法だ。天台宗や真言宗の葬儀では、導師の僧が最後に「引導を渡す」とき「九字に印を切っている」。ということになると、「忍者は修験道者から生まれたのではないか」という説が納得できそうだ。
忍者の発祥は名張?
赤目四十八滝渓谷保勝会の増田部長は「伊賀忍者は名張の方が古い。忍者のルーツといわれている黒田の悪党≠ヘ、鎌倉室町時代で3つあり、伊賀忍者や甲賀忍者が活躍したのは戦国時代である。忍者の頭領・百地三太夫は名張竜口に屋敷があり、伊賀市喰代(ほおじろ)にも百地三太夫の屋敷跡や墓がある。名張の百地三太夫が伊賀市喰代に進出したとも考えられる。いずれにしても、いろんな説を語り合う場ができたので、開館後は関心のある人たちに話し合いや議論をする機会を作りたい」と語った。


極楽寺で道中安全を祈願

伊賀一井の松明講が2月11日に松明山から切り出したヒノキの薪を3月12日、奈良東大寺に寄進することになった。そこで、行列の道中安全を祈願する法要が10日、一ノ井の極楽寺で行われ、東大寺から派遣された僧侶や極楽寺の住職や講の人が極楽寺の本堂で道中安全を祈願した。
祈願の後、松明行事の創始者道灌長者の墓に報告を行い、道中安全を祈願した。
松明の東大寺への寄進行列は当初、名張高校柔道部や一般の参加を呼び掛けていたが、今年は感染症の拡散を警戒して、参加者は講の人、春を呼ぶ会のメンバー、近大高専生に絞り、松明を担いで笠間峠を越える行事は中止され、安部田坂之下からバスで奈良へ行くことになった。


消防本部が感謝状・救助協力のつつじが丘住民に

名張消防署は3月8日、つつじが丘市民センター前の路上で倒れていた男性を、住民が連携して心肺蘇生をして救助したとして、つつじが丘住民の主婦・山口千里さんら6人に感謝状を贈った。救助は救急隊に引き継がれ、搬送された男性は蘇生し現在、通常の生活に戻っている。
救助に関係したのは、同市民センター職員岩崎まどかさん、同センター館長の青柳登志夫さん、つつじが丘・春日丘自治協議会理事の竹田昌弘さん、ボランテイアガイドの藤原宏さん、小学校教諭の内田卓仁さん。
救助は昨年9月26日午前10時25分ごろ、センター前の路上で倒れている男性を山口さんが発見。声をかけても返事がなく、いびきのような音がしていたため、不審に思い119番通報し周囲にも助けを求めた。その声に気付いた内田さんがセンターに助けを求め、岩崎さんがセンターからAED(自動体外式除細動器)を運び、青柳さんら3人が救急車が来るまで交代で心肺蘇生をしたとのこと。
この日、名張市防災センターで行われた感謝状贈呈式には4人が参加。山口さんは「初めてのことでパニックになった。次は冷静に行動できるようになりたい」と話した。館長の青柳さんは「男性は我々の仲間だ。助けられてよかった」と話していた。


三重大発!忍び学でござる

三重大学の忍者研究をまとめた「忍者学講義」の出版を記念して2月22日、伊賀市ハイトピア伊賀でシンポジウム「三重大発!忍び学でござる」(三重大学主催)が開かれた。
開会あいさつで駒田美弘学長は「忍者学は歴史、文化にとどまらず、もはやサイエンス。この研究成果を社会に還元するのが大学の使命だ」と話した。来賓の岡本栄伊賀市長は「読者が楽しみにしていた連載。本になったのは喜ばしい」と祝辞を述べた。
三重大学の山田雄司教授が基調講演を行い、研究に携わった教授や関係者が忍者姿で登壇し、文学、食品科学、制御工学者の立場からコメントした。甲賀流忍術の伝承者の川上仁一さん(伊賀流忍者博物館長)も出席し、多くの忍者ファンが熱心に耳を傾けた。


勝手神社神事踊・ユネスコ無形文化遺産「風流踊」候補に

伊賀市山畑の勝手神社で奉納されている「風流踊」を文化庁の文化審議会無形文化遺産部会が「ユネスコ無形文化遺産への提案候補」に選定したという通知が2月19日、伊賀市にあった。同踊りは現在「国指定重要無形文化財」に指定されており、選ばれる可能性は高い。伊賀市では天神祭りの楼車(ダンジリ)がユネスコの無形文化遺産に指定されており、選定されれば伊賀市の伝統文化財が世界的に評価されることになる。
神事踊保存会長の北村忠則さんは先輩が築きつないでくれたおかげで今がある。ユネスコの看板を抱えれば、多くの人に見に来てもらえる。若い人にも励みになる」と喜びを。前会長の中林正悦さんも「これを機に皆で取り組もうという意識が高まる。若い学童たちにも家族たちが推めてくれればありがたい」と喜びを語っていた。


冬の陣コンサート2020〜名張市の混声合唱団コーロ・Gui

名張市を中心に活躍する混声合唱団コーロ・Guiの「冬の陣コンサート2020」が2月8日、総合福祉センターふれあいで開催され、多くの観客が懐かしのメロディを楽しんだ。「リンゴの唄」「東京ブギブギ」など戦後に流行したメロディから「世界に一つだけの花」など平成のヒット曲までバラエティ豊かな演奏が披露された。聴衆も懐かしのメロデイに合わせて手をたたいたり、団員の美しい歌声に聞き入っていた。


なが〜い巻きずし76.82メートル

名張市立百合が丘小学校で2月1日、節分にちなんだ恒例イベントの「なが〜い巻きずし作り」が催され、児童や保護者ら約260人が挑戦した。昨年の71.7メートルを5メートル以上上回る76.82メートルの新記録を達成した。挑戦に立ち会った亀井利克名張市長は4回目の「あれっこわい」認定証を授与した。
同クラブの「なが〜い巻きずし」づくりは2013年からはじまり今回で8回目。毎年、記録を更新し名張市が創設した「あれっこわい」認定は今回で4回目の受賞になる。巻きずしの材料は、米40キロ、のり430枚、卵焼き54パック、カニかま1500本、インゲン豆6キロを準備した。
机43台を並べ、ビニールが敷かれた長い台のうえに寿しのりが敷かれ、子供たちが合図に従って酢飯を広げ、上に具材を盛りつけした。一斉に具材を包むように巻く作業を行い、巻き終わると全員で10秒間持ち上げ、つながりを確認した。計測が行われ、昨年の71.7メートルを上回る76.82メートルが確認され、拍手と万歳が起きた。
この後、亀井市長から指導者の畑行子さんに「あれっこわい認定証」が授与された。


新ギャラリーで水彩画展

名張市丸之内の小島結納品店が改築新装しギャラリーを設けた。店は先代から結納品店であり、水引工芸の伝統を守ろうと当主の小島敏孝さんが改装。ギャラリーは妻淳子さんが手がける水引工芸の教室兼工房にしたいとして「ギャラリー縁」と名付けられた。
今回の水彩画は定年で会社を辞め、好きな絵画をはじめ現代アートを学び絵画の道に進んだ敏孝さんの弟・正幸さんの作品。。正幸さんは大手家電メーカー勤務中に体験した東欧の風景にあこがれ、再度旅行をしてチェコやポーランド、ラトビアを回り、橋や教会などを写生した。建物や橋は石造でありバロック調の彫刻がなされている。かなり古い歴史があるが大切に保存されているという。
正幸さんは東京在住だが、兄敏孝さんのギャラリー計画を知り、初めての個展開催を決断。故郷で兄の店舗改装に合わせ作品展示に踏み切った。


名張の座敷で講談

名張市中町の伊賀まちかど博物館・はなびし庵で1月19日、プロの講談師・旭堂左京と旭堂南山を招いて講談会を開催した。会場は満席で、上方の講談を楽しんだ。
演目は、旭堂南山が「三河屋幸吉」、旭堂左京が「太閤記・秀吉の足軽時代」を第1回目に演じた。第2回目は南山が「嘉永三馬術、梅花の誉れ」を演じ、左京が同じく「太閤記・秀吉の足軽時代」を話した。
来場者は「名張の座敷で講談が聞けるとは思いもよらなかったが、実際に聞けて楽しかった」と話していた。


新生児の成長祈る若子祭り

地域で生まれた男児や地域に来た婿養子の息災を祝う弓取り行事が1月9日、名張市滝之原の八幡神社であり、裃袴(かみしもはかま)姿の若い衆「弓取人」が6人、2人づつ入れ替わり3交代で矢を放った。
行事は700年以上の歴史があり、三重県の無形文化財に指定されている。的は正面の山幅に据えられているが、的を狙わず空を向けて矢を放つのが習わし。滝之原区の辻本英一区長は「若子が3年連続でいないが歴史ある祭りなので今後も継承していきたい」と話していた。
滝之原地区は奥深くない山村だが、世帯に若夫婦がいない。最近は滝之原に限らず、農家の長男も会社勤めをするようになり、団地や都会で住む人が多い。滝之原地区は裕福であり、すずらん台などの住宅地に区有林が売れるなどで各戸に分配したり、個人の山林が売れたりして金持ちが多く、ほとんどの家が建て替えられ、入母屋造りの2階建てが並んでいる。
むろん、内装も立派で住むのには申し分がないが、若い人は親との同居を嫌い、都市部に出ていく。高等学校を卒業すると昔は農家の後継ぎをしたが、今はサラリーマンを志望するようになった。最近の農業は機械化しているため、高齢者でも農業ができる。現在、農業を支えているのは高齢者である。これは、滝之原に限らず、農山村における現状である。


名張市百合が丘市民センターで新春餅つき大会

名張市百合が丘の市民センターで1月4日、新春餅つき大会があった。正月の餅つきは田舎の人がやるものと思っている人が多いのか、団地の市民センターでの餅つきは珍しい。百合が丘自治会は青蓮寺地区も入っており、正式名は青蓮寺百合丘自治会になっている。もち米は地元で調達し、青峰高校のホッケー部が準備などを手伝った。ふかしたてのもち米を木の臼に入れ、小突きをして搗(つ)いたが「手返えし」の女性の手つきは慣れたもの。地域の子どもらも手伝ったが、杵は重そうだった。


川上ダム定礎式に300人

去年は伊勢湾台風から60年目の節目の年だった。近年、自然災害が各地で発生している。川上ダムも利水については伊賀市だけとなっているが、自然災害への対策は急にはできない。伊賀市上野地区は安政伊賀地震で木津川、服部川と流域が地盤沈下し洪水時には氾濫する。岩倉渓谷を掘削、開削すれば解決するが、岩倉渓谷に多量の水を流すと下流地域で氾濫する。下流の沿線は大阪まであり、護岸工事や橋のかさ上げなど多額の費用が必要。そこで、建設省(当時)は、岩倉渓谷の開削の代わりに、被災地域の避水移居と遊水池の建設、川上ダムの建設を提案し、三重県知事も地元も了承した経緯がある。避水移居と遊水池の建設は完了し、残るは川上ダムのみとなった。
ダム工事は仮設工事と本体の基礎掘削、両岸の表土剥ぎ取りを終え、基礎部分のコンクリートを約10メートル打設している。昨年12月15日の定礎式は基礎固めの儀式で、木造建築で行われる上棟式のようなもの。重さ110`の御影石に定礎の文字と年月日を彫りこみ、鎮定し周りをコンクリートで固める儀式。儀式には地元国会議員、県副知事、県議会議員、地元市町、市議、地元地権者が招かれた。
岡本栄伊賀市長が「生活安全を守る重要な施設であり、ダムを活用した地域の活性化も期待していると」とあいさつ。元地権者で住民だった川上ダム対策委員会協議会代表の古川喜道さん(92)は、移住住民の苦渋にふれながら「安全第一、無事故で一日も早い完成を祈りたい」とあいさつした。